こんにちは。
福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。
新緑がキレイな季節ですね。
この時期の緑たちって、なんだかとっても柔らかそうですよね(*´꒳`*)
ふわふわを期待して、緑に突っ込み、何度ちくちく刺さったことか。。。
ダイブしなくなった自分に、だいぶ大人を感じます。。。d( ̄  ̄)
そして、5月の緑と言えば。。。
そう、我らがよもぎさんです!!!
先日、摘みに行っていいニオイに囲まれました(*´꒳`*)
洗うために、そのまま水につけて置いてたんですが。。。。。
なんと残念、半日で腐っていましたΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
流水にするまではないかな、と思っていたら、暑さでしっかりぬるま湯に。。。( ̄◇ ̄;)
よもぎも、人間関係もぬるま湯ではダメなんですね。。。
そこに留まるだけのぬるま湯ではなく、新しいものに触れていきたいなー、とよもぎから学んだ5月でありました。。。
さて、色々な経験から人は学ぶもの。
今日は、「離婚という喪失」というテーマでお届けします。
わたし、あんまりイメージにないようなんですが、離婚を経験しています。
しかも、2年と持たないスピード離婚でした。
離婚。
それは、
自分から・相手から、愛がある・なし、子どもがいる・いない、揉める・揉めない、どの状況に関わらず、大きな喪失感が伴うものです。
どのような形であれ、家族を失ったんです。
自分の居場所や存在価値、幸せの家族像という夢や理想、周囲からの信頼、様々なものを失うわけですから、大きな喪失感や孤独を感じて当然なんです。
そして、離婚までは物理的にも精神的にも色々と大変です。
無事に離婚が成立した状況であったとしても、ほっと一息ついた途端に、今まで抑えていた気持ちが溢れて不安定になったり、無気力になったり、そんな状態になってもおかしくはありません。
ならば、離婚なんてしまければいい、ガマンしていればいい、そういうものでもありません。
人の気持ちはナマモノなので、その時に放置してしまうと当然腐ってきてしまいます。
離婚の理由なんて、いい悪いではないんです。
お互いに言いたいことはあるだろうし、お互いに自分が正しいと思っています。
加害者、被害者の関係のように見えても実はそれが心地よい依存関係だったりもするので、自分にとっては「正しいのは自分」なんです。
わたしも思いっきり自分が正しい!!!をしていました。
いつも自分が正しくて、相手が間違っている。
正しく頑張っているからこそ、相手には自分という価値を認めてほしいと思ってしまう。
自分という価値を相手に分からせたくなる。
何なら相手が分かるまで間違いを指摘しまくって、思い知らせてやりたくなる。
支配を受け入れて育つと、自分も人を支配しようとするようになります。
特に身近な存在、家族にはあからさまにその思いがでます。
支配して当然、言うことを聞いて当然だ、くらいの気持ちを持っています。
自分がそうされて育ってきたからというのもありますが、自分が我慢してきた分の積み重ねてきた怒りを、親ではなくパートナーに引き受けてもらおうとしているんですね。
わたしが離婚をしてこの不幸を見せつけてやりたい!と思ったのは、親に対してでした。
アナタ達の子育ての結果はこれやけんね?
子育て失敗したね、アナタ達のせいやもんね。
そうやって自分の身をもって、子育ての失敗を親に見せつけたかったんです。
しかしながらです。
渦巻く気持ちはそれだけではありませんでした。
それと同時に、親の望むような人生を送れない自分を責めます。
両親を安心させてあげたかった。
結婚は、して当たり前のもの。
そして子育てをし、親の面倒を見るもの。
とにかく世間の目や、周りから見た幸せの形が大事。
どれだけ反発をしたことろで、親の価値観をしっかり自分が受け入れていました。
でも、それは本当に自分が望むことではないので、最後にはひっくり返して終わらせてしまう。
そんな「親を安心させることができない自分」をものすごく責めます。
自分はみんながしているようにできないという劣等感、欠陥品であるような恥ずかしさ、自分がダメだからこんなことになるんだという罪悪感、これらが一気に自分へと向かってきます。
今まで親の願いを察知し、自分から進んで行動してその願いを叶えることで親を安心させてきたんです。
親の願いは、自分の想い。
親の安心が、自分の安心。
そうやって、親に目を向けておくことが自分の存在意義でもあったんですね。
なので、「ほら見たことか、ざまあみろ親め!!!」という気持ちと、「親を安心させることができない自分なんて、なんて価値がないんだろう。。。」という両方の気持ちに襲われます。
自分の心の中で親を責める気持ちと、自分を責める気持ちとがいう同時にせめぎ合っている。
相反する気持ちだから苦しいんだ、つらいんだ、とそう思いますか?
確かに、同時に逆方向へ向かうような感情にも見えます。
しかし、一見すると相反するように見えるこの感情ですが、実は根っこは同じなんです。
それは、自分の感情の中心は親だという根です。
自分の心の核となる柱が、自分にない。
自分の感情よりも、親の(大人になってからは他人の)感情が大切。
これが他人軸です。
そうなんです。
わたしには、自分の軸というものがなかったんです。
わたしは離婚という経験で、今まで積み重なってきた喪失、つまり自分の心の重心、軸の喪失に気づかされることになります。
自分の人生を、他人の為に使い、他人の為に生きる。
これでは、生きるのがつらくなります。
では、どうしたらいいのか。
離婚と事実を変えるのでなく、他人軸に生きてきた生き方を変えていくんです。
自分は何をどう感じ、どうしたいのか。
何が好きで、何がイヤなのか。
何をやりたくて、何をしたくないのか。
その本当は。。。という自分の感情を自分の為に感じて、表現していく。
わたしは離婚と言う経験で、自分の軸をまた大きく捨てようとしたんです。
自分のために生きていない!
そう気がついたら、自分に軸を戻して、人のためでなく自分のために生きる決意がいります。
その未来は勝手に見えては来ません。
自分のために生きることが簡単なら、今までだってすぐにそうしていたはずです。
そこには必ず大きな恐怖が眠っています。
そこを丁寧に、そして安心して見てていくこと、安全に表現することが大切です。
わたしは、リトリーブサイコセラピーでその恐怖を安心に変えていきました。
いつからでも、どこからでも、まずは自分の「そんなのイヤだ!変わりたい!」は大きな原動力になります。
離婚という喪失は、大きければ大きいほど自分に回復を求めてきているのではないかと、わたしは思うんです。
その声を無視せず、かつての自分がしてほしかったように自分の本音を聞いてあげられるといいですね。
離婚の喪失。
それは、満たされなかった親への想いと同じ。
だからこそ、その喪失の余白を大人になった自分が満たしていきましょう。
〈 お知らせ〉
只今、限定でモニターさんを募集しています!!!
わたしはこのリトリーブサイコセラピーで命を救われました。
それは、自分の喪失からの再生でした。
たくさんの失ったもので傷ついた心が回復していくよう、自分の精一杯でカウンセリング・心理セラピーをさせていただきます!!!
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