自分を見失っているあなたへ
日本人の多く、そしてこの九州地方の多くの方は、自分をあまり強く主張せず周りとの調和を大切にし、とてもガマン強いですよね。
感情を抑え、自分を出せなかったり、周りの人の言う事に従う、なんて事を経験する方も多いですよね。
皆がそうしている、だからこそ自分だけがワガママを言うわけにはいかない、と自分の感情を置き去りにしがちです。
特に、悲しみやつらさや不安といったマイナスに思える感情は、できるだけ「なかったこと」にしてしまいます。
なかったことにしようとしても、感情というものはなくなることはありません。
感情は感じないようにしようとすればするほど、その存在を知らせてくるからです。
マイナスの感情をなかったことにしてしまえば、周りの調和が取られ安心できたような感覚にもなりますが、自分の人生、悲しみやつらさや不安をガマンするだけの人生というのはどうでしょうか。
人生を味わいたいと思った時、自分の人生そのものが無味無臭だったらどうでしょうか。
その人生は、平和で安心のように見えて、実は自分の存在を見失ってしまっています。
自分の本当の
感情
価値
欲求
それらを見失ってしまうのは、自分自身を見失ってしまうのと同じことなんです。
自分を見失ってしまうと、
仕事の人間関係
パートナーシップ
親子関係
友人関係
などあらゆる人との繋がりに問題が出てきます。
今、あなたにはこのようなことが起こっていませんか?
- 自分のことがよく分からない
- 人の言うことを鵜呑みにする
- 人や物に依存してしまう
- ガマン強い
- 周りの目が気になる
- 人が怖い
- 怒りが止まらない
- 人に近づけない
- 人が信じられない
- 自分の本音が分からない
- 何事にも否定的
- 本気を出さず、いつも無関心
- すぐに諦めてしまう
- 周りからの評価が気になる
実は、これらは同じ根っこで繋がっているんです。
<本当の問題とは?>
これらの問題の根っこにあるもの。。。
それは
愛着
自己肯定感
の問題です。
愛着や自己肯定感とは、今の自分を今の自分のそのままで受け止め、愛していくチカラです。
人とぬくもりで繋がっていくチカラです。
人は誰しも、生まれてから親から注いでもらう愛情から自分という存在を確認していきます。
周りの人が自分のことを、
どのように言葉をかけて
どのように対応して
どのように扱うのか。
子どもはそうやって、親から自分自身をたくさん確認してもらいながら愛着や自己肯定感を育んでいきます。
この愛着や自己肯定感がなかったり、うまく育たなかったりすると、自分のことも人のことも信じられなくなり、生きることが怖くなってしまいます。
いつも安心感がなく、自分がここに居ていいのか不安になり、人に注目することで自分を守ろうとします。
自分を愛してもらうために、自分自身を切り捨てて、何とか人の役に立って居場所を得ようと頑張っていくようになります。
この生き方を続けると、周りや人から認めてもらえるかどうかに常に意識を向けていないといけなくなります。
人が自分を受け入れてくれるかどうかが何よりも大切になります。
自分の本音を隠して人と付き合い、相手の要求を満たせない自分には価値がないと信じてしまいます。
必死に誰かに受け入れてもらえるよう、どんどん自分を失わせていきます。
自分という存在が、どんどん消えていってしまいます。。。
自分の悲しみ
思うように愛されなかった絶望
心からの本音や欲求
これらの過去の傷や痛みを抱えている自分を、自分が見放していってしまっています。
<このまま続くとどうなるか?>
家族という繋がりが、形としてはあるんだけど愛情では繋がっていない。
その状態が続くと、常に自分は必要ない存在なのだと感じ、親から愛されない自分に価値はないと思ってしまうんです。
自分は世界に居ても居なくてもいい存在なのだと思い込んでしまいます。
だからもちろん、そんな価値のない自分を愛することもできません。
愛情で繋がることが分からず、人との繋がりそのものが何なのか分からなくなっていってしまいます。
自分らしく生き、自らが成長することよりも、今の自分が周りからどう見られているのか、周りから幸せに見えているかどうか、と自分の周りや形ばかりに幸せを求めようとします。
そして、自分の存在価値を見失い、自己肯定感が育まれないままだと、さらにもっともっとたくさんのものを失っていきます。
- 心の安心感
- 夢や希望
- どうしても手に入れたかったものや現実
- 愛情や繋がり
- 絆や信頼
- ケガや病気による身体機能、精神的機能
- 感情や生きるチカラ
ひとつの自己肯定感の無さという根っこから、まるで芋づる式のように、どんどん自分自身を失っていってしまうんです。
<問題のメリット>
こんなにイヤなことばかりなら、早く考え方と行動を変えて、新しい自分を作り上げて、自己肯定感をぐんぐんと上げていけばいいじゃないか!!!
そのように思うかもしれません。
しかし残念ながら、考え方と行動を変えるだけでは問題は解決しないんです。
問題を持つには、メリットがあるからです。
自分を見失うことに違和感を感じながらも、
- 自分の事ばかり言っていても、人生や生活は回らないんだから!
- みんながみんな、自分の事だけ考えられる訳じゃないんだから!
- ある程度は、人の思いも汲まないと!
- 周りの事も考えないと迷惑!
- 自分の心のままになんて動いていいの?
そのように自分に言い聞かせて、今の現実に適応しようと努力を重ねます。
しかし、自分の感じている本当の思いや、本当の自分に目を向けられないことこそ、愛着や自己肯定感が傷ついているというサインなんです。
どのように考え、どんなふうに行動するかという形ばかりを気にしてしまい、核となる「自分の本当の思い」を見失っているんです。
では、自分自身を見失いながらも、見失ったままの自分でいるのはどうしてでしょうか???
そうなんです。
それこそが、問題を持つメリットなんです。
愛着を持たず、
自己肯定感が育まず、
自分の価値を失い、
自分自身を見失うことでメリットがあるんです。
それは。。。
誰かのために生きることができるんです。
自分は自分のために生きている、そう思いますよね???
でも。。。
あなたは今、
誰かの
役に立ち、
期待に応え、
誰かに
認めてもらい、
誰かを
安心させることで、
自分の安心感を得ていませんか???
それが、まさに自分のためではなく誰かのために生きている、ということなんです。
人に注目し、人の欲求を満たし、人の期待に応えないと自分はここには居られなくなる。。。
自分を信じずに否定して生きていれば、自分自身を感じなくていいんです。
自分を無くし、
自分を信じず、
自分を見失っておけば
誰かに喜んでもらえ、
自分の価値を与えてもらえ、
自分を認めてもらえ、
自分の命や居場所の保証をもらえ、
誰かと共にいることで孤独にならず、
大きな大きな安心感を手に入れることができるんです。
でもこの安心感は偽りです。
誰かに与えられている安心感は、いつ失うか分からず、結局は不安を呼び起こしてしまいます。
そして、誰かのために生きる人生は
「誰かのせいにして生きる人生」になり、安心どころか不安だらけの人生になっていくんです。
あなたは、この人生を望むでしょうか???
<解決へ向けて>
本当は心から安心して生きていきたいのに、現実はいつも安心を求めて不安ばかりが募っている。
あなたが自己肯定感が育めず、自分や世界を信じることができずに、自分自身を見失ってしまっているのなら。。。
人生の軸を自分に戻していきませんか。
あなたは子どもの頃、本当は等身大のそのままの自分を愛してほしかったんです。
ただ、それが叶わなかった。。。
その心の未解決の傷が、自己否定となり自分を苦しめていたんです。
自己否定が強い時というのは、自分が誰よりも自分を否定している時だったりするんです。
自分の心にある痛みや傷に気がついた時に、
不安や恐怖を軸にして痛みから逃れていくのと、
人生の軸を自分にして回復に向けての努力や挑戦をするのでは、
生きやすさは大きく変わってきます。
愛着や自己肯定感が育まれなかった自分を隠したり責めたりするのでなく、
傷に気がつき、癒し、回復していくこと。
そこからまた、自分を育てていくこと。
その両方が、あなたの人生を生きやすくするのではないでしょうか。
本当に求めていたものが叶わずに傷つき、見失ってしまった自分に回復への道のりを見せてあげませんか?
リトリーブサイコセラピーでは、自分の失ったものに気がつき、安全に感情を味わい、安心して表現していきます。
そしてそこから、自分がこれからをどのように生きていきたいかという、新たな繋がりを自分の人生に見つけていきます。
その過程が自己肯定感を育んでいきます。
これらをひとりでする必要はないんです。
助けが必要なところは、助けを求めていいんです。
見失っている自分を回復するには、自分への信頼が必要です。
傷ついた感情は、安全な環境で安心して表現をすることが大切です。
自分の心が、本当は何を求めていたのか。
必死に守ってきた今までの自分を、まず分かってあげることが大切です。
そのためにリトリーブサイコセラピーがお役に立てると思います。
癒されるために自分の失った愛着や自己肯定感に目を向けることが、自分の再生への初めの一歩となります。