こんにちは。
福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。
少しずつ肌寒さを感じる季節になりましたね。
歩いていると、至る所から金木犀の香りがします。
この時期だけの特別感もあるのですが、10代や20代の頃に、この行楽シーズンとばかりに色々なところへ友人たちと出かけていた時のわくわく感も一緒に思い出すんですね。
ニオイにも思い出は残るんですよね。
そして、妊娠期間中につわりが落ち着き、お腹の中の息子と一緒に散歩を始めたのもこの時期でした。
息子を亡くして去年までは少し切なくも感じていた金木犀ですが、今年は何だか優しい香りに感じます。
秋は深くて優しいですね。
この時期は、金木犀にフラフラと寄っていっては、くんくん香りをかぎまくるというアヤシイ行動を取りがちなわたしです。。。
さて今日は、「母としての自分、娘としての自分」というテーマで書いていきます。
子どもとの関わりの中で、自分を責めてしまう。
自分は何てダメな母親なんだと感じてしまう。
自分がつらい思いをしたから子どもにはさせたくなかったのに、結局子どもの人生を壊しているのは母親である自分なんじゃないか。。。。
そうやって大きな大きな罪悪感を感じながら、子どもに関わっているお母さん。
子どもに何があっても、それは自分のせいなんだと思ってしまう。
反対に、そう思うのがツライから子どもと早く離れたい。
どちらにしても、子どもと一緒にいるのがつらい。。。
そのように感じているお母さん、本当に多いと思います。
子どもを見ていると、自分を見ているようでつらい。。。
そうなんです。
この状態って、罪悪感に押しつぶされそうでつらいのではなく、自分自身を見るのがつらくてたまらないんです。
心理セッションの中で、子どもの頃の自分の感じていた本音の感情をそれを感じていた相手(主に両親)へと伝えることで、自分の本当に感じたくなかった恐怖や絶望や無価値観と向き合うことがあります。
怖かった!!
助けてほしかった!!
分かってほしかった!!
大事にされたかった!!
愛していたのにひどい!!
この本音と共に、
怖かったのにひとりぼっちだった自分
助けてもらえず見捨てられた自分
分かってもらえず否定された自分
大事にされたかったのに拒否された自分
愛されたかったのに愛してもらえなかった自分
という、恐怖と絶望と無価値観を感じてしまいます。
感じないように何とか感情を切って自分を保とうとしても、その怖さは身体と共に感じています。
だから、その時に咄嗟に自分の問題を何かにすり替えようとします。
そんな恐怖や絶望や無価値観を自分ひとりで見ていくことはできないからです。
子どもとして、娘として感じていた感情を感じて表現しそうになると、自分が壊れてしまいそうで表現しないように、親として、母としての自分にすり替えます。
そうすると本当の恐怖や絶望や無価値観を感じなくてよくなります。
代わりに、親として母として「我が子にこんな思いをさせていたのだろうか。。。」という自分を責める罪悪感を感じます。
この罪悪感で、自分の本当に感じたくないものにフタをしてしまうんです。
娘としての自分の感情を感じてしまうのが怖いんです。。。
だから、母としての罪悪感で自分自身と向き合うことを止めてしまう。。。
自分を責めながら生きることは、とてもつらいことです。
でも、
自分を責めていたら両親と向き合わないですむ。
自分が悪いと思っていれば自分の問題と向き合わなくていい。
自分を押し殺していれば誰かを生かすことができる。
これってどうでしょうか??
本当の問題は、自分を責めてしまってつらいことではなく、自分を感じてしまうと恐怖や絶望や無価値観を感じてしまうことなんです。
自分に
生きる資格がなく
誰からも愛されず
存在価値がない
そう思い込むような経験をして、傷ついたんです。
その痛みをひとりで抱えているんです。
心の傷も、痛みもまだ癒されていないんです。
その経験をしたのは、あなたのせいではありません。
だからこそ、子どもとして、娘としての自分が本当は何を感じ、何を伝え表現したかったのかはとても大切です。
子どもとして、娘としての自分を感じることが必要なんです。
わたし自身も息子を失ってから、罪悪感で自分の感情にフタをして自分と向き合うことを避けた日々がありました。
罪悪感を抱えるのは苦しいですが、それ以上に
攻撃される怖さ
捨てられた自分
価値の無い自分
を感じたくありませんでした。
でも、ひとりで抱えるからいつまでも苦しくてつらいんです。
ひとりでできないことは、助けてもらっていいんですよ。
それが今までできなかっただけ。
1回助けてもらったからって、死んだりしません。
でも、一気に救われるかというとそうでもないと思います。
ひとつずつ、1枚ずつ、怖さや絶望や無価値観を癒していったらいいと思います。
それは、根気のいる、先の長い、勇気のいることかもしれません。
でも、それを全部ひとりでやる必要はないと、わたしはそう思います。
人に助けてもらいながら、自分で自分を受け止めながら、その両方があってこそ自分の回復は進んでいくのだと思います。
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