福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田 ひとみです。
緊急事態も続く中、もう5月も下旬を迎えていますね。
色々な生活スタイルの日々が過ぎなからも、
「あー、しんどいなあー。。。」
「何かめんどくさいなあ。。。」
「気分が上がらないなあ。。。」
なんて日もあるのではないでしょうか。
その理由がはっきりしていることもあります。
まだ寝ていたい。
通学、通勤が苦痛。
人間関係が面倒。
勉強や仕事をしたくない。
このように、
会いたくない人がいる、とか
やりたくないことがある、というのは、自分の中でも何となく理由が分かります。
でも、
何だかよく分からないけど怖い
ずっと怖さが消えずに憂鬱
という場合は、自分でもどうしていいか分からなくなりますよね。
分からないから、何か理由を見つけたくなります。
そうやって自分を納得させようとします。
そして、見つけるんです。
今の自分がこうなのは、〜のせいなんだ!!!と。
そして理由が見つかると、何となく安心します。
自分だけが悪いんじゃないとホッとしたり、自分のせいじゃないと気持ちが軽くなったりします。
今日はそんな理由を探し続けてしまう心理、
「わたしのせいじゃない!!!」
というテーマで書いていきます。
<本当の問題は何か?>
ここに潜んでいるのは愛着の問題です。
自分の外側に自分の怖さの理由を探す時、アナタが本当に避けたいのは自分自身です。
本当は怖い。
怖くて自分ひとりで抱えられない。
怖さに押しつぶされてしまいそうになる。
そう思うと自分が保てなくなるから、怖いという感情を感じたくない。
感じなくていいように、
- 怖くないと自分に言い聞かせたり
- 他の何かに注目して誤魔化したり
- 人を避けたり
- ひとりを避けたり
- 誰かを責めたりして
自分を必死に守ろうとします。
でも、それほどまでに感じたくないほどイヤな恐怖、
持っていたいのは自分なんです。
なぜでしょうか???
怖さを持っていれば、自分が本当は求めている
助けてもらうこと
愛してもらうこと
大事にしてもらうこと
安心して繋がること
相手や周りを信じること
をやらなくていいし、諦められるんです。
求めているのに、どうしてやらずに済むとホッとするのでしょうか?
求めることこそが自分にとって何より怖いからです。
求めてしまって
拒否されたら
否定されたら
拒絶されたら
無視されたら
本当に感じたくない
価値のない
みじめな
捨てられた
居ても居なくてもいい自分を感じてしまうんです。
それだけは感じたくない。
怖いという気持ちで、本当の感じたくない恐怖を隠してしまうんです。
<このままだとどうなるか?>
怖さを持っておくためには、加害者が必要なんです。
何かのせいで!!!
誰かのせいで!!!
これがあるからわたしは怖いんだ!と自分を納得させないといけません。
常に自分に対して害を加えるような存在が必要になります。
いつも自分が怖いのは何かのせい、誰かのせい。
怖くて求められないんだから、本当にイヤな感情を感じないでいいように、
そっちから来てよ
有無を言わさず助けてよ
あなたからわたしを安心させてよ
と要求していくんです。
これって、叶いそうでしょうか???
はい、難しいですよね。。。
<解決に向けて>
いつも怖くて何かができない。
でも、その怖さを持っていたいのは自分なんだ。
怖さを持っていれば避けられているものがあるんだ。
だから自分は今そうしているんだ。
自分の選んでいるものが何なのかに気がつくことはとても大事なことだと思います。
怖さを理由に
誰かのせい
何かのせい
人のせい
そうしていれば、気がつかなくていい自分の
ズルさ
弱さ
ちっぽけさ
があるんですね。
人間、ラクをしたい生き物です。
短期的にラクを選び続けた結果、長期的な苦しみを抱えることは少なくありません。
自分が選んでいるものが苦しみではないか、
実は逃げたいだけではないか、
依存心を隠すためにガマンを正当化してないか、
自分の問題なのだと捉えることが、問題解決の第一歩になっていきますよ。