自分を諦める事で諦めないでいられるもの。

昨日のブログ、

心が折れる時。

 

そのままの自分では価値がない。

何か役に立っていたらここに居ていい。

誰かを喜ばせるために頑張る。

自分そのものを自分が否定して生きていくと、

 

ひとつの躓きで、

やっぱりダメな自分

を改めて感じてしまう。

 

だから

心を折らせてしまう。

諦めてしまう。

 

 

自分を先に諦めるって、一見相手のために自分を犠牲にしているようにも思えます。

 

自分がガマンすることで、相手が満足する。

 

たまにそういう時があってもいいんです。

喜んだ相手の顔を見て、自分も嬉しい。

それは相手を大事に想うからこその感情です。

 

けれどこれが、

ダメな自分。

必要とされない自分。

愛されない自分。

ひとりぼっちの自分。

そのイヤな自分を避けるために諦め続けると、怖さはどんどん膨らんでいきます。

 

 

だから怖さを避けるために、感じないでいいように、行動しなくていいように、自分のことを先に諦めてきたんです。

 

するとこのままでは、ずっとこの先の人生、

ダメで無価値で愛されない自分を抱えたまま、その怖さから逃げる人生を送ることになります。

 

人と関わらず、

自分を信じず、

何事にも挑戦せず、

誰かの望むように生きる。

それは自分の生きづらい気持ちをどんどん増加させるだけですよね。

 

悲しみも、

怖さも、

怒りも、

虚しさも、

どんどん溜まっていきます。

 

自分を何も感じられないまま、避けるつもりがより一層溜まっていってしまうんです。

 

 

わたしがずっと、

やる気や、やりたいこと、自分の本音を失くしてまで守ろうとしていたもの。

 

それは、

愛されないダメな自分を隠すため。

愛されない無価値な自分を感じないため。

愛されないひとりぼっちな自分を見ないため。

 

それほどわたしは、

ダメな

無価値な

愛されない

自分を、

自分で思い知るのが怖かったんです。

今ではない過去の事実を、ずっとずっと避けてきたんです。

 

誰かに愛してもらうことでしか、自分の価値を感じることができなかったんです。

 

自分を諦めることで、

こうしていれば愛してくれるかもしれない。

その望みを繋いでいたんだと思います。

 

愛してくれなかった両親を諦めることができず、

自分を諦めることで両親を諦めずにすみました。

 

ずっと親を握りしめていたのは、わたしだったんです。

 

その怖かった自分、まだ依存している自分を受け入れてはじめて、自分が思い込んできたダメで無価値で愛されない自分をひっくり返そうという気持ちが出てくるんだとわたしは思います。

 

愛されない自分は、ダメで価値がない。

自分のことを最終的にそう決めたのは、わたし自身だったから。

 

けれど、人生の中で全く嫌われないように生きていくことって可能でしょうか?

 

ずっと愛され続けるって、できるでしょうか?

 

自分が自分を無視するのに、誰かに愛してもらって満足できるでしょうか?

 

自分の中にある、感じたくないイヤなものに手を突っ込む勇気。

それが躓きや失敗や挫折を受け止める自分の土台を作っていくと思います。

 

 

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