お母さんが分からない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

暑いです!

暑いです!!

暑すぎます!!!

生きてるだけで、汗、汗、汗。。、

 

園での水遊びや水浴び、ほんっとに子ども達が羨ましい!!!

ああ、一緒にマッパで水を浴びたい!!!

(↑捕まるぞ!)

 

こんなに早くに梅雨が明けちゃうと、水は大丈夫なんだろーか。

夏に水遊びができないと、子ども達はえらいこっちゃ!今更ながら、水を大事にしようと違う夏です。

 

 

さて。

子ども達がだーいすきなお母さん。

この「お母さん」という感覚。

わたしは子ども時代、本当は周りの友達と分かち合えてない感覚を持っていました。

 

 

みんなが言っている「お母さん」と、

わたしが感じている「お母さん」とは

どうにも、壁があるように感じていたんです。

 

 

周りの友達は、「お母さん、だいすき」を自分の母親に対して言っていました。

 

お母さんがこう言ってた。

お母さんがこんなことをした。

お母さんがこうやって関わってくれた。

それを聞きながら、わたしは

「うちのお母さんとは違うな。。。」

とずっと感じていました。

 

わたしの中で、「お母さん」とは

このように周りから聞いたり、テレビやマンガや本の中で描かれているような

「子どものことを想っている人」

という漠然とした言葉でのものと、

リアルに家の中で関わる、

「決して理解のできない人」

という2つの面を持っていました。

 

だから周りの友達に、「うちのお母さんはみんなのお母さんと違う。」ということを言えなかったし、それは隠しておかないといけないと思っていました。

 

だから、

周りの人が言う「お母さん」

情報からこうであろうと想像する「お母さん」

にずっと合わせていたのだと思います。

 

 

お母さんとは、

子どものことを1番に考え、

子どものことを何より大事に想い、

子どものためならどんなことでも戦う、

そういう存在なんだろうと思っていました。

 

けれど、うちのお母さんは違う。

わたし(子ども)の話を聞こうとはしないし、

わたしの身の回りの世話を面倒くさいと言うし、

わたしが居るから自分は大変なんだと嘆くし、

わたしが自分の気にそぐわないことをすると、自分の気の済むまでずっと無視をするし、

助けてほしくてもアンタが悪い、と否定する。

 

あれ?

うちの家は普通じゃないのかな?

そう思いながらも、その疑問を打ち消して、自分に何かよくない所があるからお母さんはこうなのかな、と思い直す。

優しくしたくても、アナタが悪い子だからできない。

その言葉を信じて、

分かってくれない母親を理解しようと努力する。

分からない母親を何とか好きになろうと努力する。

 

わたしはそうやって、

自分が母親から受け入れられていない事実を見ないことで、

好きになれば、理解すれば、いつか愛してもらえるかもしれないという希望を持って生きてきました。

 

好きになること。

好きでいること。

それでかろうじて人と繋がりを継続しようとしてきたんですね。

 

それは、

好きになってもらうこと。

好きで居続けてもらうこと。

そうすれば、人と繋がれると思っていたからです。

 

相手を喜ばせていれば、ひとりの寂しさを忘れられる。

 

元々お母さんや自分と繋がれていない感覚であるにも関わらず、周りとの繋がりを維持することに必死になる。

 

そうしていれば、ひとりぼっちの孤独を感じなくていいから。

 

この、もともと繋がれていない感覚。

お母さんや自分と、交流できない感覚。

心でやりとりができない感覚。

 

これは、子どもにとって

世界でひとりぼっちの感覚です。

 

寂しさや孤独を感じても、ガマンするしかない。

だから、寂しさや孤独を感じないようにする。

 

すると段々と、人間関係に問題が出てきます。

さて、どんな問題が出てくるのか?

はい、続きはまた明日のブログにて!

 

 

 

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