福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。
猛暑とセミな福岡です。。。
昨日の夕方、いきなりものすごい勢いで雨が降ってきました。
子どもたちと家の中から虹の歌をうたいながら、雨が止むのを待っておりました。
その雨で、子どもたちが朝の遊びの時に庭に作っていた迷路や川が壊れたんです。
「あーあ。また雨が止んだら作ろー。」
と言う子もいれば、
「せっかく作ったのに!雨、許さん!」
と言う子もいました。
結局、雨がすごくてその後に外で遊ぶことはできなかったんですが、
先の子は、その迷路や川の続きをブロックや積み木でまた作って遊んでいましたが、後の子はもう朝楽しく作ったことを思い出したくないとばかりに、周りの子が作っている迷路や川を避けて別の遊びをしていました。
どちらも気持ちは分かるんですが、この反応は「自分や世界をどう感じているか」をよく現しているな、と感じました。
自分や世界を、
何かあっても大丈夫。何とかなる。
と感じているか、
やっぱり上手くいかない。イヤなことばっかり。
と感じているのか。
在るべきか。。。
在らざるべきか。。。
それが問題なのぢゃ!
そんな壮大なるハムレットのような悩みとまではないですが、予想外の出来事に遭遇することってありますよね。
また次を考えるか、
諦めてしまうか。
これは、
愛着が安定しているか、
愛着を諦めているのか、
という心の在り方に繋がっているとワタシは思います。
わたしもよく諦めていたなあ。。。
とその時以前の自分を思い出しました。
リトリーブを受講する前、わたしの口グセといえば、
まあ、いっか。
もう、いいや。
どうせ、ムリ。
当時は、人生を投げているというか、何も期待しないことで自分を守るというか。。。
まさに自分を諦めていたんですね、わたし。
こう聞くと、堕落したような、時の流れに身を任せたような(古)刹那的な生き方を想像するかもしれませんが、そうではありませんでした。
自分を諦めながら、
誰かに優しくありたかったし、
誰かの役に立ちたかったし、
誰かを幸せにしたいと思っていました。
ええ、割と真剣にそう思っていました。
いつも、
「ここには居ない誰か」のことを、わたしは考えていたんです。
そうすれば、自分の本当に感じている
心に穴の空いた虚しさ
周りに誰か居ても拭えない孤独感
人を信用していない寂しさ
そんなイヤなモヤモヤを誤魔化すことができたから。
本当は自分に起きている事実が、現実が、それほど過酷だということ。
それがあまりにもツラすぎて、
本当の自分を感じたくない。
本当に自分が感じている気持ちに気がつきたくない。
だから自分の感じている本音を諦めることで、目の前の事実に直面しなくていいんです。
まあ、いっか。
もう、いいや。
どうせ、ムダ。
こう自分に言い聞かせることで、自分の本音や自分自身を諦めることができるから。
この守り方は苦しいけれど、
絶対に見たくない事実を見ないでいいのでラクでもあります。
イヤなものから逃げ続けられるからです。
自分を諦めて逃げる。
イヤなものを避ける。
これが続くとどうなると思いますか?
また続きを月曜日のブログでお届けします!
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