やりたいけどできない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

何かをしようとすると、

なんだか止まってしまう。

急にやる気が消えてしまう。

どうすればいいか決められない。

 

そんな自分が何も変わらないようで、いい加減に変えたいけれど、何からどうしていいのか分からない。

 

そんなお話をよく聞きます。

やりたいのにできないなら、勝手に怖がってるだけなんだから、

とにかく行動あるのみ!

やってしまえば怖いことなんてない!

と実際にやってみる人は多いかもしれません。

 

けれど、その心のブレーキを無視すると大事故にも繋がりかねないんです。

 

今日はその、何かをやろうとするとブレーキがかかってしまう心理、

「やりたいけどできない。」

というテーマで書いていきます。

 

<本当の問題は何か>

どうしていいか分からない時、アナタの中でダブルバインドが起こっています。

 

ダブルバインドとは二重拘束。

 

右も行けない。左も行けない。

そこに留まるしかない、という状態です。

 

やりたいと思うと、

自分の意思を出そうと、

自分を理解しようとすると、

ブレーキを自分でかけてしまう。

 

自分なんかが。。。

自分ばっかり。。。

自分だけ。。。

そうやって自分を否定したり、責めたりしながら自分のことを

止めたり、分からなくさせたりするんです。

 

この問題は、アナタが自分を生きられないことなんです。

 

<このままだとどうなるか>

自分が自分のことを止めている、分からなくさせている、ということに気がつかないとアナタは問題をずっと周りの環境や人のせいにしていきます。

今はその時期じゃないんだ。

本当にやりたいことではない。

確実に成功できるようになってから。

と、何とか自分を納得させる言い訳を見つけて、

そのうちやろう。

いつか余裕ができたら。

実力がついてから。

とやらないことを選んでいるのは、実はアナタ自身なんです。

 

そして本心としてはやりたい気持ちがあるので、

ああ、ワタシは何て不幸なんだ。。。と嘆き続けているうちにアナタの人生は終わってしまいます。

 

<解決に向けて>

罪悪感は自分を止めることができます。

罪悪感は自分をこれから起こりうるかもしれない危険から守ってくれます。

罪悪感は自分を責めることで、相手を受け入れることができます。

アナタは罪悪感をずっと持ち続けることで、親を責めないで済んでいませんでしたか?

親を生かすことができていませんでしたか?

親が生きていれば、自分も生き延びることができる。

それはアナタの子どもの頃の世界なんです。

それでも、アナタはずっと親を生かすことで自分という存在を消してきませんでしたか?

苦しいと分かっている世界に、アナタがまだずっといるのなら。。。

アナタは自分を支配してもらわないと生きていけないという怖さがあるのだと思います。

自分がその世界を出るのだ!と決めないと、アナタは今の苦しい世界で生きることを選び続けます。

 

アナタは

そこから出たいですか?

そのまま居たいですか?

 

わたしばっかり損してる。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

パートナーとの関係。

友人との関係。

仕事仲間との関係。

思えばいつも自分ばっかりが支えている。

 

自分が困った時には、相手はそこまで助けてくれずに結局ひとりでがんばってしまう。

 

そして、そこには

なんでわたしばっかり!!!

という不満がどんどん募っていきます。

 

自分はガマンしてでも相手のためにと思って頑張るけれど、自分がツラい時にはツラいと言えずに苦しいまま。。。

 

一方的な関係は、疲れてしまうし続きません。

 

今日は、いつも自分ばっかりが

支えている

助けている

損をしている

と感じてしまう心理、

「わたしばっかり損してる。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

自分ばかりが損をしている。

そう感じるのは、アナタが自分の

助けてほしい

支えてほしい

守ってほしい

という本音を飲み込んでいる状態が続いているからです。

 

本音があるなら言えばいいのに、なぜ飲み込んでいるのか?なんです。

 

もしかすると、本音を言わずに態度で示しているのかもしれません。

 

けれど、それは相手も

察してよ

分かってよ

考えてよ

というアナタからの圧を感じています。

自分から行動せずに察してもらおうとしても、(受動攻撃ですね。。。)悲しいかな、相手は余計にアナタを避けていくことでしょう。。。

 

そんなじっとりした目で見られたら、誰だって

こわっ!!!と逃げたくなっちゃいますから(笑)

 

それくらい、アナタの中で自分の本音を飲み込むことが当たり前になっているのが問題なんです。

 

アナタは、相手中心に相手を優先しておけば、

自分を受け入れてもらえると思っていませんか?

 

<このままだとどうなるか?>

自分を受け入れてもらうため、

相手から嫌われないため、

怖さを感じないでいいように、

アナタは自分の本音を消していきます。

 

そうやって自分を奮い立たせて頑張らせていれば、この場に居られる安心感もある。

 

これをこのまま続けていくと、アナタはどうなっていくと思いますか?

 

自分らしさなんて何もない、

いつも疲れ切って、

相手のためだけに生きることが、

アナタの人生になっていきます。

 

<解決に向けて>

本音を言っても、誰も助けてなんてくれない。

きっと、アナタの中にその思いが潜んでいます。

 

だから自分の本当の気持ちを飲み込むんです。

 

アナタはあえて自ら損をしているんです。

本音を言わないことで生きているんです。

 

これ、本当に続けたいでしょうか?

 

このままだと確実にアナタの人間関係は崩れていきます。

 

アナタの本当の思いを聞いてもらえなかったという経験。

そして、大人になった今、今度はアナタがアナタに本音を消させています。

過去に感じてきた怖さでいっぱいだからこそ、アナタは今、自分の本当の思いをアナタ自身が感じてあげましょう。

 

アナタの今は、本音を言わないのはラクですよね?

ラクをして自分を消したままで、アナタの未来は幸せですか?

 

 

 

 

やりたいことが分からない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分がやりたいと思うこと。

これがはっきりしていると、自分の未来や目的地もはっきりと分かりやすいですよね。

そもそも子ども達は、今夢中になっている遊びを

何でやってるの?

どうしてやりたいの?

と聞いてみても、

楽しいから!

やりたいから!

しか返ってきませんよね。

 

それくらい自分の気持ちに素直に行動するって、自分の人生に充実感を持てるかどうかにも大きく繋がってきます。

 

けれど、アナタが

自分がよく分からない。

したいこととやつまていることが違う。

自分のやりたいことが分からない。

そう思っているなら、アナタは自分の未来や目的地にも漠然とした不安があるのではないでしょうか。

 

 

今日はそんな自分のことがよく分からない心理、

「やりたいことが分からない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、自己否定の問題です。

アナタは自分のやりたいことをやろうとしても、否定されたり拒絶されたりする感覚を持っていませんか?

 

自分のやることはどうせダメなんだ。。。

 

だから、

誰かに否定されないように

誰かに認めてもらえるように

誰かに受け入れてもらえるように

 

自分で選ぶことよりも、誰かの目を基準にして

好きなもの

自分の意見

やりたいこと

を選んでいるんです。

 

そしてそれはアナタが自分のことを分からなくしてしまうけれど、同時にアナタに

ここにいていいよという居場所

それでいいよという承認

アナタを受け入れるよという安心

を与えています。

 

だから、苦しいけれど

実はアナタは自分で自分のことを分からなくさせているんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

今、アナタは自分で自分のことをダメだと信じているんです。

 

自分を受け入れられず、自分は何をやっているんだろう。。。といつも責めてしまう。

 

それほどまでに

何もしていない自分

相手の役に立っていない自分

ちゃんとできない自分

を感じることがたまらなくイヤなんです。

 

だから

こうありたい理想の自分

でないと、自分を認めて許すことができません。

 

相手や周りから否定されたりダメ出しをされたりしないように、自分の行動や気持ちまでも周りや相手の基準で選択していくんです。

 

本当は自分の気持ちとは違うことであったとしても、自分にちゃんとしろ!と言い聞かせて理想の自分に少しでも近づこうとします。

 

そして自分を追い込み、分からなくして、何とか周りや相手の正解を見つけることばかりが人間関係の全てになっていきます。

 

これではもちろん、アナタは疲弊していくばかりです。

 

<解決に向けて>

人生でずっと正解をしていないと、また否定されてしまう。

けれど、人生でずっと正解をし続けることはできません。

だって、相手の基準は相手が決めます。

その相手の心が分からないのは当たり前だからです。

 

だからこそ、アナタ自身が

相手を受け入れるために自分を分からなくして、自分を失くしていることが問題なんです。

 

アナタは今、

自分から逃げていませんか?

自分を感じてしまうとどうなりそうですか?

本当に自分を分かりたいですか?

 

 

 

理想の自分を追い求めて。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

♪こうなったらいいのにな

という歌もあるように、人はこうなったらいいな、と思うことがありますよね。

 

ましてや、今が辛かったり苦しかったりすると、尚更、今ではない自分を想像したりします。

 

想像の時はまだいいんですが、今の自分ではない自分になるために、アナタが必死で努力を重ねているとしたら。。。

 

今日はそんな、今の自分ではない理想の自分になりたい心理、

「理想の自分を追い求めて。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは自己重要感の問題です。

 

やりたいこと、なりたい自分のそのキッカケが

アナタの自己否定からきていることがあるんです。

 

なぜ、アナタは

今、それをやりたいのでしょうか?

今、その自分になりたいのでしょうか?

 

今の自分を足りない、満たしていない、到達していないと感じていると、更なる高みを目指して今のダメな自分を消そうとするんです。

 

 

今の自分を消すために頑張るワケですから、一点の曇りもない、どんなことでもできる完璧な、まさにワタシ失敗しないので!!!な自分を目指すことになります。

 

 

その自分を目指すことは、アナタにとって高いハードルや壁になりますよね。

 

 

最初の設定がそもそも、ワタシ失敗しないので!!!なので、それは無理があるんです。

 

何も失敗しない完璧な人間なんていないですから。

 

なのに、どうしてアナタは高すぎるハードルを自分に設定してしまうのでしょうか???

 

自分はどうせダメ。

これがアナタが自分に決めた決定事項だからです。

 

 

<このままだとどうなるか>

このままアナタが完璧な自分を目指し続けるとどうなるでしょうか?

だから、アナタは途中で挫折します。

 

 

そして、

「やっぱりワタシはダメだった。。。」と

自分で自分のダメさを確認して、また自己否定を募らせていくんです。

 

ハードルが高ければ高いほど、自分のダメさを再確認します。

 

 

イヤなのに、何度も確認するのはどうしてだと思いますか?

 

それは、

ダメな自分にガッカリしながらも、いつものダメな自分に安心するからです。

 

自分はダメなんだ。

そう感じることはイヤなのに、自分が自分をダメなんだと決めてしまっていると、アナタはそこから出ることがとても怖くなります。

 

 

今までの自分が変わるということは、人間にとってそれほど怖いことなんです。

 

自己否定をする自分がダメだから自分を変えようとしても、アナタが自分をダメだと決めている限り、できずに自分を責めるということを何度も繰り返してしまいます。

 

<解決に向けて>

そもそも、アナタはダメな人間ではありません。

それなのにどうして自分をダメだと決めつけてしまったのでしょうか。

 

アナタは幼少期から、自分がダメでいることで

誰かを助けてきませんでしたか?

誰かを守ってきませんでしたか?

誰かの役に立ってきませんでしたか?

 

 

そうすることで、アナタは自分の安全や自分自身を傷つかないように守ってきたのではないでしょうか?

 

 

けれどアナタが解決しないといけないのは、

自分はダメだと思い込んでいることでしか、自分の生きる道を見つけられていないことなんです。

 

自分はダメだと

自分を否定することで、誰かを安心させてきたことなんです。

ダメなアナタでいることで、誰かを満足させてきたことなんです。

 

 

ダメな自分が安心だなんて変ですよね。

これからも、アナタは自分を蔑ろにしたいでしょうか。

 

アナタの中から、そんなのイヤだ!という思いが出てくるのなら、アナタはもうそも世界から出ていいんです。

 

 

誰かが連れ出してくれるのをただ待つのでなく、アナタが自分から出ることを決めたらいいんです。

 

この世界にいる必要はないとアナタが心から思うのであれば、そこからもう出ていきませんか?

 

貸すも親切、貸さぬも親切。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

幼稚園で、お店屋さんごっこがありました。

各クラスでお店を開き、お客さんはお金を持って買いに行きます。

 

いくら子どもの世界とは言え、お店に買いに行っても、欲しい品物が売り切れていたら、もちろん買うことはできません。

2つまで買えるお買い物ですが、

何を買おうか迷っていたり

自分から何も動かなければ

欲しいものは買えないワケです。

 

こんな時、

泣いて欲しがる子

固まって動かない子

次の品物を探しに行く子

と対応は様々です。

 

そしてクラスの先生の対応も様々。

なだめたり

説得したり

一緒に次の品物を見に行ったり

そっと見守ったり

先生たちもその子に応じて対応します。

 

けれど、ずっと欲しいものが売り切れたことをどうしても受け入れられず号泣している子がいたとしたら、アナタならどうしますか?

 

①売り切れてしまったその子の悲しみに寄り添い気持ちが切り替わるまで待つでしょうか?

②いつまでも自分のことばかりを主張することを叱るでしょうか?

③予備で作っていたものをこっそり品物として出してあげるでしょうか?

 

今日はそんな目の前に泣いたり困ったり悲しんでいる人がいる時にアナタが咄嗟に取ってしまう行動の心理、

 

「貸すも親切、貸さぬも親切。」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

最初は①や②という行動を咄嗟に取る人が多いとは思いますが、それでも目の前の子が泣き続けたり、かんしゃくを起こしたり、スネてその場を立ち去ろうとすることが続くと、③のように何とか相手をなだめようとする人が増えるのではないでしょうか。

 

ここにあるのが共依存の問題です。

 

手を貸す。手を借りる。

二者関係では時にこのような関係となることがあるます。

助けや応援もそうですし、お金や支援物資などもそうですよね。

 

貸す。

借りる。

それがお互いに同じ立場で、言わば横の関係性である時はプラスな関係になります。

 

けれどどちらか一方が強かったり弱かったりする、言わば上下の関係性である時には、互いに自分のチカラを奪わせるマイナスな関係になります。

 

自分の人生を失ってしまうんです。

人間関係とはそもそも相互関係。
いつも一方方向ではありません。

それにも関わらず

目の前の相手を何とかしなきゃ!と感じてしまうのなら、

アナタが目の前の相手を何とかしたいんです。

 

相手に手を貸したい。

そう思った時に本当に大切な視点は、

それが相手のためになるかどうか、です。

 

けれどそこに気が及ばすに、とにかく何とか平穏に平和に場の空気を乱さず穏便に収めたくなってしまうのは、それはアナタが貸す立場を通り越して、支え手になってしまっています。

 

そして相手のためと支え続けることで、アナタは自分がツラくなっていきますよね?

 

しかしアナタが耐えれば耐えるほど、

それは相手をどんどんダメにしていっていることに気がついていますか???

 

<このままだとどうなるか>

アナタは、

とりあえず、この場が穏やかに過ぎればいい。

目の前の相手の困っている姿を見たくない。

自分が何とか頑張れば丸く収まる。

 

自分のこの思いから相手をどうにかしようとしているんです。

 

そう、自分のために。

自分の安心のために。

貸すことが親切と信じているから。

 

自分を犠牲にすることで、アナタは安心がもらえるんです。

 

そして、アナタが自分の安心のために貸したその

手や

助けや

お金は

相手を自分ひとりでは生きていけない人間にしていくんです。

 

先ほどの子どものように、どれだけ泣いても暴れても、本人が現実を受け止めるために助けを貸してはいけない時があるんです。

 

それこそが貸さぬが親切です。

 

<解決に向けて>

アナタがいつも相手のためを思って貸しているその手や助けやお金。

 

貸すも親切、貸さぬも親切。

アナタが貸す親切ばかりの人生を送っているのなら。

 

それは

その人のため、ですか?

それとも

自分のため、ですか?

 

 

幸せはどこに消えた?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

夏が長いことあったかと思えば、急にひんやりしてきましたね。

秋はどこへ行った?という感じです。

金木犀の香りをふんわり感じて、何とか秋を感じることができたわたしです。

秋の夜長に読書を!という意気込みではないんですが、「チーズはどこへ消えた?」という本を読みました。

 

ネズミ2匹と小人が2人。

迷路の中でチーズを探すお話なんですが、それぞれの登場人物?の変化に対する対応が面白かったんです。

 

アナタの人生の中でも、変化は起こりますよね。

むしろ、変化は避けようと思っても避けられません。

アナタは人生で変化が起こった時、

嘆きますか?

順応しますか?

見ないようにしますか?

 

今日はそんな変化に対するアナタの対応、

「幸せはどこに行った?」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<アナタの変化への対応は?>

物語は、迷路でチーズを探している2匹のネズミと2人の小人が、長いこと自分たちの特別なチーズを見つけるために探し回っているところから始まります。

 

2匹と2人は、好みのチーズを発見することに成功します。

 

ですが、ある朝行ってみるとチーズがなくなっています。

 

ネズミ2匹は、その変わってしまった状況を受け入れ、また新たにチーズを探しに出かけます。

 

しかし、チーズが消えてしまったことにショックを受けた小人2人は状況がなかなか受け入れられず、そこからしばらく動くことをしませんでした。

 

2人はそれからも毎日チーズが今日は帰ってくるかもしれないと待ち続けます。

 

そのうち、小人のホーはある日、もうひとりのヘムからの反対を押し切って、勇気を奮い起こしてまた迷路へチーズを探しに行くことにします。

 

もうチーズは見つからないのではないか。。。

動かずここに居た方が安全かもしれない。。。

自分はもう手遅れなのではないか。。。

 

そんな怖さでいっぱいなのですが、その自分の怖さが取り越し苦労がほとんどであることに気づき、自分から行動することで道を拓いていきます。

 

なぜ、起こった出来事は同じなのに2匹と2人の対応はこんなにも違うのでしょうか?

 

<本当の問題は何か?>

この対応の違いこそが愛着です。

言わば、ネズミ2匹は安定型の愛着。

どんなことが起こっても、自分は大丈夫という自分に対する安心感があるので、状況が変化していっても、変化に適応したり、新たなことに挑戦したりすることができます。

 

小人の

ホーは不安型、

ヘムは回避型、

の愛着。

 

不安型のホーは、自分の中から次々と沸いてくる不安に押しつぶされそうになります。

自分が進もうとする度に、恐怖が襲い何度も元の場所に帰ろうかと自問自答します。

 

回避型のヘムは、自分の状況を見ずに、いつかチーズが帰ってくるはずだと思い込むことで自分を保ち、自分から動くことをしません。

チーズが消えてしまったという現実に向き合うことを避けるんです。

 

そして、変化に素早く適応したネズミ2匹はまたすぐにチーズを探し出し、変化を不安や恐怖で躊躇するホーと、変化を否定し現実を見ないヘムは、どんどん衰弱していってしまいます。

 

<このままだとどうなるか>

不安と恐怖の中、自問自答して自分なりの答えを探してみようと自ら動いたホーは、時間をかけながらもまたチーズを見つけることができます。

 

けれど、チーズを失った現実を受け入れないヘムはもちろん状況は何も変わらず、むしろ悪化していってしまいます。

 

誰かが悪いのだから、自分のせいではない。

今までの自分を変える必要はない。

待っていれば、直視しなければ、いつか問題は解決するはず。

状況さえ変わればいい。

変化すると何かを失う。

 

そうやって、変化に対する対応を迫られた時にアナタは何か自分への言い訳をしていないでしょうか?

 

誰かのせいにしたり、

自分の怖さを見ようとしなかったり、

周りが変わってくれることだけ望んだり、

そうしている限り、アナタの幸せはアナタの前から消えていくんです。

 

 

あれ?いつの日か誰かがくれるはずの幸せはどこ?

わたしの幸せはどこにいった?

と、ずっと探し続けることになります。

 

それは、アナタの中に

変わらないことが安全だ!という思いがあるからです。

そしてその思いは、安心感がないから起こるんです。

 

アナタはどうですか?

変化に対応することができますか?

自分の人生に安心感がないままでいいですか?

思えば歩いてきたもんだ。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

先日、とうとう我らが師匠、大鶴和江さんの待望の新刊

「自分を縛る”禁止令”を解く方法

〜見えない「利得」に気づくと全ての問題が解決する」

が発売されました。パチパチパチパチヽ(´▽`)/

 

張り切って、得意ではないネットで予約してみたんですけどね。。。

実は書店で発見して手に取る方が早かったというね。。。

機械オンチはツラいよ、と。。。

 

今回の新刊は2冊目で、前作が出た時は5年前でした。
わたしがまだリトリーブサイコセラピーの講座を受講する前のことでした。
わたしは9月からの基礎コースの受講を控え、講座に申し込んでは見たものの、待つ時間が非常に長く感じて、まだかな、まだかな、と思っていた時でした。
本を泣きながら一気に読んで、それから何度も何度も繰り返しずっと読んでいたのを覚えています。
今日は、そんな5年前から今の自分の変化の実体験を踏まえながら、カズさんの本について書いていきます。
「思えば歩いてきたもんだ。。。」
どこかの歌のタイトルみたいですけども(笑)
※下の本が、サインをもらった前作😊
今回の新刊。
読んでみて改めてすごいなーと思うのは、どこの誰にでも今の自分の問題が解決しない原因はコレだ!!!とはっきりと気がつけだ後に、解決する方法がハッキリと分かるところだと思います。
大抵は、本を読んだり、セミナーで聞いたりしたことで自分に「気づき」があったとしても、そこで終わることが多くないですか?
原因がわかった、コレだ。
そうかそうか。
だから自分はこうなんだな。
その自己分析や原因解明で、何だか解決した気持ちになってしまう。
けれどそれって、自分への理解が深まって終わり、なんです。
だから時が経ったり、場面や人が変わったりすると、また同じような問題に悩まされてしまうんですすね。
この本を読むと、自分の問題を解決するのは自分であることがはっきりと書かれています。
そしてそのためには、自分が自分に対して何をしていけばいいのか?
そんなことが具体的に書かれてあるんです。
なかなかないですよ、こんな親切な本は(笑)
わたしが前作を泣きながら読んでいた時、まさにわたしは自分こそ世界で一番不幸!と信じて疑っていませんでした。
だからこそ
誰かに慰めてほしくて、
誰かに助けてほしくて、
誰かに守ってほしくて、
よく頑張ったね、と言ってほしくて、
アナタは悪くないって言ってほしくて、
この先の人生はもう薔薇色という保証がほしくて、
不安と恐怖と自己否定と無力感と絶望感でいっっっぱいでした。
自分のお腹の中で子どもを失いましたから、今まで抑え続けて避けてきたはずの自分が持っていたあらゆる感情が爆発したとも言えます。
自分は特別だと思うことで、今のツラい現実を見なくてすんでいたし、自分は人生の被害者だから自分が問題を解決する義務はないんだと逃げることができていたんです。
そうやって自分がおかしくならないように、かろうじて何とか保っていたんです。
そもそもの
自分に対する安心感
自分に対する信頼感
自分に対する愛情
というものが分からなかったから、自分に向き合うなんてことができなかったんです。
けれどね、この新刊に書いてあるように
たくさんの禁止令があるから、自分を縛っているものがあるから、親が、世間が、状況が。。。と自分以外に原因を求めても、いっときスッキリすることはあっても、実際には問題は何も解決しないんです。
自分が問題に向き合うこと。
そして、
自分こそが問題に直面することを逃げていること。
ここに気がつかない限り、ツラさや苦しさは無くなることはありません。
もっと言うならば、
不安や恐怖をいつまで経っても自分で受け止めることができないんです。
まさに、わたしがリトリーブサイコセラピーのチカラを借りて、仲間のチカラを借りて、自分のチカラを信じて歩いてきた5年間はここを自分が経験して、行動してきた道のりだったと思います。
ツラい、
苦しい、
怖い、
不安、
無力、
こんなわたしを誰か助けてほしい!
けれど、そこで求める助けが得られたとするなら、わたしはずっと人生において不幸でなければいけません。
不幸でツラい。
と言いながら、
不幸でないと助けてもらえない。
と不幸で自分を縛っていく。
自分が自分でやっている。
自分が自分を縛っている。
その自分の問題の裏には、必ず利得という自分の守り方がある。
そこにイヤというほど向き合わせてくれたのが、リトリーブサイコセラピーです。
自分がこれほど不幸でツラいのは、何か原因があるはずだ!
これは、確かにそうなんです。
けれど、その原因を自分の外に探し続けると、アナタはもっともっと生きづらさが増していくんです。
だからどうしたらいいの?
どうすればいいの?
アナタがアナタのために、自分の抱えいる問題に直面する勇気と覚悟を持つことです。
その勇気と覚悟を持つチカラをくれたのは、今まで関わってきた仲間です。
そして毎日過ごす中で、
自分が自分の感じたものを
寄り添って、
受け止めて、
育てていく。
どんな自分の話も聞きながら
今の自分を受け入れていく。
そのチカラを育んできたのは、わたしがわたしに対する愛情ゆえに、です。
思えば、わたしはリトリーブサイコセラピーに出会い、そこで仲間と出会い、自分自身に出会わなければ、ここまで歩いて来れなかった。
きっとね、息子の後を追いたくてたまらなかったと思います。
自分が死ねば息子に会えるんだと信じていたし、けれど息子が救ってくれた命かもしれないから自ら絶つことはできないという理由で、生きているのかさえ分からないような人生を送っていたと思います。
それでも、わたしは今を生きているし、歩みは大きくなくとも自分の足で歩いています。
リトリーブサイコセラピーに、命を救われたと思います。
仲間に、自分の傷や利得に直面するのを助けてもらったと思います。
自分に、今のそのままで愛しさを感じられるようになったと思います。
だからわたしは、リトリーブサイコセラピーを自身の経験から自信を持ってオススメしています。
今まで、
どんなことをしても自分の問題が解決しなかった。
どこに行っても自分は変わることができなかった。
そんな愛着の問題を抱えた人にこそ、この本を読んでほしいな、と思います。
アナタのこれからを、アナタはどうしていきたいですか???
<カズさんの新刊発売記念講演会>

新刊発売を記念して、カズさんの独演会。。。違う、違う、講演会が開催されます!!!

 

●大阪 10月30日(土)
●東京 10月31日(日)
●福岡 11月3日(水・祝日)

※ZOOMも同時視聴可能

 

百読は一聞にしかず

百聞は一見にしかず

百見は一会にしかず

でございますよ!!!

 

直接カズさんに会って、是非とも自分の人生を変える一歩の一日にしてみませんか???

yourexcellence.jp/talkevent2021/

 

 

 

 

疲れがとれない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

毎日、まだ暑いですね。

夏の疲れもしっかり出てくる時期です。

 

寝ても回復しない。。。

ずっと疲れている。。。

倦怠感が抜けない。。。

こんな状態が続くとしんどいですよね。

そんな時、アナタは日々の忙しさで自分を休めることができていないのかもしれません。

 

けれど、本当はできないのではなく「したくない」と思っているとしたらどうでしょうか?

 

今日はそんな、ずっと疲れているアナタの心理、

「疲れがとれない。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは自己重要感の問題です。

アナタは日々、疲れきってしまうほど自分にチカラを入れて生きているのではないでしょうか。

 

日々頑張る。

前を向き続ける。

とにかく行動する。

予定をずっと入れ続ける。

休むことなく何かをしている。

 

ツラいのにこのような行動を続けてしまう時、フッとアナタはチカラを抜いてしまう事の方が、実は怖いのかもしれません。

 

疲れたけど休めない。

 

そんな時、アナタは自分の中の聞きたくない本音にフタをしようとしている可能性があります。

 

休めないのではなく、休みたくない。

疲れがとれないのではなく、チカラを抜きたくない。

 

自分自身の本当の気持ちを、

じっくり感じて

たっぷり味わって

今の自分の現実に目を向けることがツラいんです。

 

チカラを入れて頑張って動いていないと、アナタの本音が出てきてしまう。

 

だからどれだけ疲れていても、休むワケにはいかないんです。

 

アナタは、アナタを感じることが

悲しくて

苦しくて

ツラくて

寂しくて

イヤでたまらないんです。。。

 

<このままだとどうなるか>

もちろん、どれだけ疲れていたとしても本音では止まりたくないのですから、アナタはずっと動き続けてしまいます。

 

自分の体力が持っているうちは、何とか走り続けることができるかもしれません。

 

けれど、もちろん限界はきます。

 

休み、止まった時、アナタは自分の

無力さ

価値のなさ

存在の無意味さ

避けたい悲しみと怒り

生きていることへの絶望感

をじわじわと感じてしまいます。

 

アナタがどれだけ疲れても、動き続ける事で見なくてよかった、それほどまでに避けていた感情が出てきてしまうんです。

 

アナタがアナタに対して、本当はどのように思い、感じているのかという本音を、動くことで紛らわせてきたから。。。

 

このままこれが続くと、身体がどれだけ限界でも、どれだけ休みたいと思いながらも、アナタは倒れて動けなくなるまで自分を動かし続けてしまいます。

 

<解決に向けて>

アナタが疲れがとれないほど、ずっと動き、何かに目を向けているなら。。。

 

アナタが見たくないのは、アナタ自身です。

 

これは単純に、身体を休めることが解決ではありません。

 

休み、止まれば、アナタはもっともっと苦しくなるからです。

 

感じたくない自分自身を感じてしまうからです。

 

アナタはこのまま、

止まることなく自分を動かし続けたいですか?

自分自身から逃げ続けたいですか?

自分で自分の存在を否定し続けたいですか?

アナタがずっと苦しいのは。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子ども達が園庭で縄跳びの練習をしていたんですね。

10回ごとに到達シールがもらえます。

縄跳びを跳べるようになることが楽しい子は、シールが増えていく度に

「数えて!見てて!」

とチャレンジしていこうとします。

反対に、友達がやるから、練習しないといけないから、という自主的な理由ではない子は、思うように跳べないとすぐに辞めてしまいます。

 

これ、やる気が出るまで待ちましょう、そっと見守りましょう、のお話ではありません。

 

思うように縄跳びが跳べない。

だから縄跳びは好きじゃない。

縄跳びを挑戦することを避けて、縄跳びそのものを見ないようにする。

 

縄跳びを避けて、見ないようにすれば、自分は苦しくないからです。

けれど、別の遊びをしていても自分が本当はやりたかった思いはなくなりません。

できなかった悔しさも消えません。

縄跳びをやってもやらなくても、ずっとずっと苦しい気持ちのまま過ごすことになります。

 

今日はそんな、

見ないようにしたのに、

フタをしたのに、

アナタがいつまでもラクにならずに苦しさがなくならない心理、

「アナタがずっと苦しいのは。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは脱愛着の問題です。

自分から求めることをしない。

欲しいと思う前に諦める。

欲求そのものを感じないようにする。

求めている気持ちを諦めることで、世界に適応しようとする生き方です。

 

欲しがってもムダ。

自分には必要ない。

そんなもの要らない。

 

そうやって、愛情や自分を安心させることを諦めて、求めないようにしたとしても、アナタの中には、

本当は愛してほしい。

本当は見てほしい。

本当は分かってほしい。

本当は受け入れてほしい。

本当は認めてほしい。

という人間としての当然の欲求は消えません。

 

むしろ消そうとすればするほど、アナタの中に欲求は意識され続けます。

 

それを感じないように、抑えるために自分のエネルギーをたくさん使うことになります。

 

<このままだとどうなるか>

消えない欲求は、満たされることを望みます。

なので色々な方法を使って、相手や誰かに見てもらおうとコントロールするようになります。

誰かに自分を見てもらっている時だけ、自分の存在を感じることができるからです。

けれど見てもらうためには、アナタは

不幸でなければいけません。

困っていなければいけません。

被害者でないといけません。

 

アナタは誰かから見てもらうために、

ずっとずっと苦しんでいないといけないんです。

 

だからアナタは自分から、

今の苦しい状況を自分で作り続けてしまいます。

 

そうすることでしか、自分が誰かと関わることができないから。。。

 

 

<解決に向けて>

わたしがいつもこんなに苦しいのはどうしてだろう。。。

アナタがずっとそう思っているなら、

アナタ自身が自分をどう扱い、どう思っているのかを自分に聞いてみたらいいと思います。

 

そしてそれは、過去にアナタがどう扱われ、思われていたのかにも繋がっていきます。

 

過去に、アナタの大切な人が、

アナタを愛するチカラがなかった。

アナタを守るチカラがなかった。

アナタを受け入れるチカラがなかった。

 

だからアナタも、そのまま自分や人を

愛することができないままでいいですか?

守ることができないままでいいですか?

受け入れることができないままでいいですか?

 

 

 

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すぐに怒ってしまう〜怒りっぽいアナタへ〜

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

人って、余裕がなくなると怒りっぽくなったりしませんか?

 

普段なら何も気にもとめないのに、急いでいると自分の思うように事が運ばないとイライラしたり。。。

 

もちろん、怒りはアナタが自分のことを守るためにとても大切な感情です。

 

理不尽な扱いを受けた

相手が傷つけてきた

自分の大切なものを攻撃された

そういう時に、人が怒りの感情を感じないと、相手のされるがままになってしまい、自分のことを守れません。

 

けれど何かの時というよりも、常に何かに怒ってしまう。

すぐにキレてしまう。

 

今日はそんな、怒りっぽい心理

「すぐに怒ってしまう〜怒りっぽいアナタへ〜」というテーマで書いていきます。

 

 

 

いつも何かに怒っている。

イライラが止まらない。

ずっと怒りが収まらない。

そんな時には、アナタに何が起こっているのでしょうか?

 

<本当の問題は何か>

この根底には、愛着の問題があります。

怒りを手放したいけど、いつも怒っている。

 

そんな時、自分に聞いてみてください。

怒っていないと、アナタはどうなりそうですか?

怒っていれば、アナタはどんな自分の気持ちに気がつかないでいいですか?

 

おそらくアナタには、とても感じたくないイヤでたまらない感情があるんです。

 

愛してほしい人に愛されなかった。

守ってもらいたい人に守られなかった。

愛している人を愛せなかった。

守りたい人を守ることができなかった。

 

そんなアナタの本当の想いが、怒っていないと出てきてしまうんです。

 

悲しくて、

寂しくて、

みじめで、

苦しくて、

ツラくて、

自分の存在ごと、崩れ去ってしまいそうで。。。

 

 

本当は、自分の人生に絶望している。

本当は、希望なんかない。

本当は、生きていたくなんかない。

 

何かに目を向けて怒っておけば、この自分の脆くも崩れてしまいそうな絶望感を感じなくていいんです。

 

だから、怒っていたい。

絶望感に気がつきたくない。

 

だからアナタは、自分の本当の気持ちから目を逸らし、相手や他人に目を向けては怒れる何かを探し続けてしまうんです。

 

<このままだとどうなるか>

自分では、絶望感や悲しみにフタをするために怒っていても、周りの人にとってはアナタはいつも怒っている人です。

 

いつも怒っている人に、喜んで近づきたいと思う人はいるでしょうか?

 

関わろうと歩み寄っても、拒否されたり否定される人と関係を深めて育んでいきたいと思う人はいるでしょうか?

 

そして、アナタ自身はずっと孤独を感じながらいきることになります。

 

けれど、自分の本音には絶対に触れないように逃げ続けて生きていかないといけないんです。

 

そうです。

アナタはこのままだと、

自分が誰なのか?

何のために生きているのか?

全く分からないままの未来が待っているんです。

 

<解決に向けて>

なぜ自分がいつも怒っているのか?

どんな気持ちから逃げているのか?

ここに気がつくことはとても大切だと思います。

 

大切な人から

愛されなかったアナタも、

守ってもらえなかったアナタも、

愛されて守られていい存在なんです。

 

 

愛せなかったアナタも、

守れなかったアナタも、

愛して守り抜くチカラが存在するんです。

 

それをアナタ自身が感じられていないことが問題なんです。

 

アナタはアナタを受け入れられないまま、これから先の人生を送りたいですか?

アナタはずっと感じられません。

アナタはアナタを生きることができません。

 

アナタは自分から逃げるために、怒り続けて生きていきたいでしょうか?

 

アナタは自分で、何を選びたいですか?

 

 

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