自分のことを決められない。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分のことを決められない。

こんな感覚を持っている人、ジツは多いのかもしれませんね。

自分がどうしたいのか分からない。

誰か教えてほしい。

そうして自分という存在がどんどんなくなって苦しくなっていく。

 

自分のことなのに

決められない。

分からない。

どうしてなんでしょうか???

 

今日はそんな自分のことなのに自分で決められない心理、

「自分のことを決められない。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは自己重要感の問題です。

 

決められない、と感じながらも本当は決めていいんです。

だって自分のことだから。。。

 

けれど決めてしまうことに、大きな恐怖があるんです。

 

 

過去に、アナタが自分自分のことを決めてしまうと困る誰かが家族の中に存在した、ということなんです。

 

 

アナタが

自分の意思で

自分の考えで

自分を持って

決めてしまうと都合が悪いと感じる人が家族の中にいたんです。

 

 

だから、アナタが自分のことを決めようとすると

拒否したり

否定したり

怒ったり

無視したり

困った顔をしたり

そうやって諦めさせようとしてきたんです。

 

 

そしてそれが続くと、アナタは

わたしが何を言っても聞いてもらえない。。。

わたしはどうせ分かってもらえない。。。

わたしが何をしても否定される。。。

わたしはどうせ愛されない。。。

 

そんな行き場のない気持ちを

わたしが悪いから。

わたしが足りないから。

という罪悪感で自分で決めることを、アナタの素直な欲求を出すことを、抑えていくようになります。

 

自分のことを決めなければ、

自分の欲求を出さなければ、

相手に合わせていれば、

ひとりになる孤独の怖さ

愛されない絶望

自分はダメという無価値感

このイヤで怖い感情を避けることができるんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

自分で自分のことを決めない代わりにもらえる安心。

これはアナタが本当に望むものではありません。

だから自分が分からなくなって、どんどん苦しくなってしまいます。

 

けれど自分を持ってしまうと先程の恐怖を感じてしまうと信じているので、自分そのものを諦めていってしまいます。

 

アナタは自分には何もできないと、自分のことを自ら無力な存在にしてしまうんです。

 

諦めて無力にしておかないと自分は生きて生きていけないんだ、自分のチカラを失わせてしまうんです。

 

アナタは、

自分を無力にして、

チカラを消して、

生きることに意味も希望も何も持てずに、苦しさとしんどさを抱えながら生きていくことになるんです。

 

<解決へ向けて>

アナタが今の状態が苦しければ苦しいほど、そこには大きなメリットも同時に存在しています。

 

自分で決められず、自分を感じないことは苦しいけれど、

自分に触れずに安全で、自分の感じたくない感情を感じなくていいんです。

 

自分を

無くしていれば

抑えていれば

ガマンさせていれば

アナタは生きることができたから。

 

どちらもアナタは怖いし、つらいんです。

自分で決めることも。

自分を無くすことも。

 

 

そのどちらの自分も認め、感じていく。

まずはそこから始めませんか?

 

アナタが自分の感じたくない感情に触れてでも、自分を持ちたいのかどうか?

 

アナタがアナタに何度でも聞いてあげましょうね。

 

 

 

人を決めつけてしまう。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

毎日、暑うございます。。。

それでも子ども達は元気に遊ぶので、本当にすごいなあと溶けそうな大人は思います。。。

 

そんな子ども達も、当然ケンカはあります。

自分1人が遊びたい遊びと、友達が遊びたい遊びが違ったりします。

「⚪︎⚪︎くんとボールで遊びたい!」

けれど、当の⚪︎⚪︎くんはブロックで遊んでいる。

「一緒にボールで遊ぼう!」

 

これで⚪︎⚪︎くんが「いいよ。」となればいいですが、ブロックで遊んでいるから断ることもあります。

その時、

「ぼくがボールで遊びたいから、ボールで遊ぼうよ!」

となるとケンカが起こります。

 

自分がこう思うんだから、相手もこう思うはず。

相手はきっとこうしたいはず。

 

 

自分を中心にしか考えられない子どもが、社会性を身につけていく段階で自分と相手とは違うのだと学んでいくのと違い、大人が相手を決めつけるということをすると、もちろん相手が違う思いの場合は関係が上手くいきませんよね。

 

 

アナタは、

関係がこじれることが何度もありながらも、人や物事を決めつけることってありませんか???

 

 

今日はそんな人や物事を決めつけてしまう心理、

「人を決めつけてしまう。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、共依存の問題です。

 

自分と相手は違う人間。

ここをアナタが体感で分かっていないと、「人を決めつけてはいけない。」と言葉では分かりながらも、実際には自分の思いを相手に重ねたり、反対に相手に全てを委ねて、いわゆる自分がない状態になります。

 

もちろん、アナタ自身の親子関係が

親のいう通りにしか生きることが許されなかった、

親がかわいそうでずっと助けてきた、

親の心理的なお世話をしてきた、

ということがあるかと思います。

 

ですが、大人になった今でもアナタがこの「人を決めつける」という感覚を持って行動をしているということが問題になっているんです。

 

アナタは人を決めつけないと何が起こってしまうんでしょうか?

 

恐らく決めつけていないと、とてつもなく不安や恐怖を感じてしまうのではないでしょうか。

 

相手を決めつけて、相手のことを分かっておかないと不安。。。

相手のことが分からないと、どうしていいか分からない怖さ。。。

 

これを避けたくて、相手のことを決めつけているんです。

 

不安なら相手に聞く。

分からないから相手に聞く。

ということができないんです。

 

本当は、相手の本当の姿が分かってしまうことが怖くてたまらないんですね。

 

 

<このままだとどうなるか>

相手のことを相手に尋ねることをせずに決めつける訳ですから、

関係が壊れたり

不穏な空気が流れたり

揉めたり

疎遠になったり

相手からせめられたり

ということが起こります。

 

そうすると、アナタは

相手は何も分かっていない!

こんなに相手のことを考えているのに!

どうせ自分は分かってもらえない!

という不満を募らせていきます。

 

自分から相手に歩み寄ることはせずに、自分から相手を遠ざけて離していくんです。

 

そうすると、アナタはどうなっていくでしょうか?

 

そうならないように

相手のことを決めつけて、

相手が分かった感覚になり、

相手と繋がろうとしたつもりが。。。

 

結局は孤独でいつもひとりぼっちな自分をずっと感じて生きていくことになるんです。

 

<解決に向けて>

避けるつもりが、避けきれていない。

相手を決めつけることで安心したかったのに、待っているのは孤独。

近づいているつもりが、自分から遠ざけている。

 

この事実ってイヤですよね。

 

そこまでして相手の本当の姿を知りたくないのは、アナタにとって人間関係そのものが、

人を理解することは相手の全てを受け入れること

人に近づくことは相手の全てを受け止めること

人と関係を深めることは相手の全てを飲み込むこと

という思い込みがあるのかもしれません。

 

だから

相手を分かること

相手を知ること

相手と関係を深めること

に不安や恐怖を抱いてしまうんです。

 

相手を決めつけないと、自分が保てないから。。。

 

本当は、そんなことをしなくても人との関係は築いて育てていけるんです。

 

けれどそう信じることでアナタはアナタが傷ついたり、壊れたりしないように保っているんです。

 

そのアナタの不安や恐怖そのものを、

アナタが見ていく。

アナタが感じる。

アナタが受け止める。

そうしていくことでこの問題は解決へと向かっていきますよ。

 

イヤな感情を避け続けるとどうなるか?

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

昨日の福岡は、大雨&雷。

突然変わる空模様に、子ども達はパニックを起こす子もいました。

最初はじっとしていたんですが、雷に耐えきれず、抱っこした瞬間に泣き始めました。

ガマンしてたんだねぇ。。。

怖い時は、怖いって言っていいよ。

自分では大丈夫と思っても、本当は。。。ということはあったりしますよね。

アナタは自分の感情を

どれくらい知っていますか?

どれくらい感じていますか?

 

嬉しい、楽しい、そういったポジティブな感情は感じることはできる。そういう感情は感じていたいし、たくさん感じたい。

 

けれど反対の

悲しい、苦しい、つらいといったネガティブな感情は避けたい。感じたくない。

これって、ほとんどの方が当てはまるのではないでしょうか。

 

自分のイヤな感情なんて避けたい。

なくなればいい。

そう感じてしまいめすよね。

今日はそんな、イヤな感情はアナタにとって本当にジャマなのか?ということを見ていく、

「イヤな感情を避け続けるとどうなるか?」

というテーマで書いていきます。

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着、自己重要感の問題です。

自分が感情を抑えつけて、イヤな感情を感じないことで自分を守ってきたんです。しかし、抑え続けてきた感情たちは表現の場を求めています。
子どもは、恐怖を感じた時、誰かが側にいてくれることを望みます。
親からその悲しみを受け止めてもらったり、認めてもらったり、確認してもらうことで安心感や自分の価値を育てていきます。
「悲しかったね」
「怖かったんだね」
「本当はこうしたかったんだね」
そんな親からの安心を子どもは必要としています。
悲しくても、そうして受け止めてもらうことで
自分が大切にされていることや、悲しみへの向き合い方を学んでいきます。
しかしそれが叶わないと、自分の感情を確認してもらえず、自分の価値を見失い、自分は親にとって迷惑で邪魔な存在なのだということを信じていきます。

何かに傷ついたり、自分ひとりでは耐えられないような出来事に遭遇した時、まずはその事実や自分の素直な感情を否定し、拒絶することが何より優先になっていくんです。

 

受け入れきれないし、受け入れてしまうと自分が壊れてしまいそうだからです。

 

そうやって、心が自分を守ろうとするんです。

そうすると、子どもは愛されるために自分の行動を決めるようになります。
何かが起こった時に、自分ひとりでは守りきれないので愛されるように振る舞うことで、誰かに側にいてもらおうとします。
周りから愛される存在でいたいと願うのは、周りの基準で生きていくということです。
<このままだとどうなるか>
つまり、ずっと他人の基準で自分を生きていくということになります。

他人の基準で生きていくためには、自分をなくし、感情や欲求を消して、他人を優先して生きていかないといけないんです。

 

なので感情とのつながりを、自ら切ってしまうんです。

 

日常生活を送っていくためにはいちいち感情に振り回されていたら回らなくなるし、立ち止まったところで事実が変わるワケではないんだし。。。

と自分がどんどん分からなくなる。

 

もうあんな思いは2度としたくない!と思っていればいるほど、その傷が深ければ深いほど感情は閉じてしまいがちです。

 

感情なんて、感じている余裕がなくなってしまいます。

目の前のことに対処するだけで精一杯になります。

そうやって自分のことを必死に守っているんです。

誰も自分のことを守ってくれる存在なんていない、そう信じているから。。。

だから、自分の感情なんて感じていたら、自分のことを守れなくなってしまう。。。

 

なのでそうならないように、事実を否定し、自分に言い聞かせたり、大したことじゃないと目をつぶることで自分の感情を切り捨てて、不安を少しでも感じないようにするんです。

こうやって自分の感情を切り捨てて生きた方が、その場はラクでいられるから。

 

けれど、この人生はどうでしょうか?

悲しみや痛みを感じない代わりに喜びや楽しさも失っていく。。。

 

何も感じずに、ただ毎日を生きるだけ。

人を求めることもなく、孤独感と背中合わせ。

自分が何のために生きているのかを見失ってしまいます。

避けているはずなのに、いつも心の底では

価値のない

孤独な

愛されない

自分を感じながら生きることになるんです。

 

<解決に向けて>

 

感情なんていう厄介なものが存在しなければ、傷つくことも、痛みを感じることも、つらい思いをすることもない。

感情というものを感じることが、積み重ねてきた自己否定を思い知ることになってしまう。

感情とは、自分を傷つけ、失った自分の価値を改めて味わせるような恐怖の対象だと信じている。

 

これが本当の事実なのかを自分で確かめることです。

 

感情を切っていても、感じてないということではないんです。

本当は感じているからこそ、避けたいし逃げたいんです。

 

自分の傷から逃れるために感情を切り捨てる限り、過去の痛みからは永遠に逃れられなくなります。

感情とは、自分そのもの。

感情を切るのは、自分自身を切り捨てていることと同じなんです。

自分の感情に間違いなんてありません。

 

なので再びその過去に感じていた感情たちを、同じ強さと深さで感じ、それを安全に表現する。

それをやるのだと、自分が決める。

そのためには、自分への信頼も必要です。

自分を感じること、

素直に表現すること、

本当の望みに気がつくこと、

感情はあなたにそれを教えてくれていますよ。

 

 

人に近づくのがめんどくさい。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

暑くなってきましたね。

昨日も、子ども達と遊んでいる時に不意に飛びつかれまして、その子の汗だくっぷりに

「いやあー!汗がベタベタやーん!」と笑ったら、

「せんせいも、日焼け止めで白くてベタベタやーん!」と見事に返され2人で大笑いしまいした。

 

ふと肌が触れる。

不意に人と関わる。

それって生きていく上で、避けられませんよね。

自分と同じように考え、発言し、行動する人ばかりの中で暮らすことができれば心穏やかに過ごしていけるかもしれませんが、いつもそんな風に生きることは叶いません。

 

揉めたり、

対立したり、

壊れたり。。。

 

その可能性もあるのが人間関係ですよね。

 

だからと言って

相手が

怒らないように、

傷つかないように、

悲しまないように、

そればかり考えていてもしんどくなってきますよね。

 

 

だからこそ、めんどくさく感じて、自分から人を遠ざけてしまう。。。

 

今日はそんな、慣れるまでは頑張ってもみるけれど、慣れたらイヤになって捨ててしまう心理

「人に近づくのがめんどくさい。。。」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

人が重たい。

人に近づきたくない。

人が怖い。

ここには、共依存の問題があります。

 

人と関わる時、一生懸命に

相手をおもんばかり、

相手を楽しませて、

相手に尽くして、

相手に合わせて、

相手の全てを飲み込んでしまう。

 

最初はそんなあなたの対応に感動して喜んでくれた相手も、段々とそれが当たり前になっていく。

 

そうすると、アナタはガマンしていた怒りや悲しみをフツフツと感じてしまいます。

 

それが苦しくなって、その人間関係や、環境を捨てて、また新しいものを見つけに行く。

 

けれど、避けている時は気がつかないで良かった、ひとりぼっちの感覚や、自分がここに居てはいけないような感覚、見捨てられてしまうような感覚に襲われて、また自分を抑えて、相手を飲み込むことを繰り返してしまう。

 

人と関わることは

否定され

拒絶され

無視され

それをガマンして相手の全てを受け入れること

 

あなたはそう信じていませんか?

 

 

<このままだとどうなるか>

このまま、人と関わることをめんどくさがっていれば、アナタはいつまで経っても人との間で安心感を感じることはできません。

 

実際には、

否定されたり

拒絶されたり

無視されたり

そんな人ばかりではないのに、人は自分に対してそう扱うはずだと信じているんです。

 

そうして自分に対して、

怖いよ〜

怖いことになるよ〜

そうなってもしらないよ〜

と脅して、怖がらせて、人と深く付き合うことを避けています。

 

人は怖い。

だから深くは付き合わない。

そうすることで、自分が傷つかないように守っているんです。

 

自分をそうやって守っているワケですから、いつまでも「人が怖い」という思いを握りしめているのは、実はアナタ自身だったりするんです。

 

その守り方を続ける限り、アナタの孤独感はどんどん増していきます。

もちろん、求めている安心感も得られません。

 

それが本当にアナタのしたい、自分の守り方なのでしょうか?

 

<解決に向けて>

アナタが本当に求めているのは、

人とのあたたかい繋がりや

人と安心して繋がれる感覚、

そして、無理をしていないそのままの自分で繋がれることではないでしょうか。

 

今のアナタは、

相手を飲み込まないと

相手を優先しないと

自分をガマンさせないと

人間関係は繋がれないと思っています。

 

そうしないと、ひとりになるし、居場所はなくなると信じていないと自分を無くして相手を優先させられません。

 

だから、アナタが自分を大事にする。

その決意と覚悟が大切です。

 

その時に同時に沸き上がってくる

怖さや

悲しみ

痛み

ここを見つめることです。

 

ずっとアナタがめんどくさいことにしておいたのはアナタ自身の本当の想いです。

そこを見ることはとても勇気がいることです。

 

だからこそ、アナタが

自分をめんどくさがらず、

自分のために勇気を持って、

自分の本当の思いを聞く。

 

ここから、この問題は解決へと向かいますよ。

 

 

<7月のセッション予約可能日>

8月より、料金が変わります。

今のお値段は、7月まででございますので、ご検討中の方はお早めにどうぞ。

最新予約状況

偽りのポジティブ。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子ども達といわゆる「中あて」的なボール遊びをよくします。

 

ボールをぶつけられたら外に出て、ぶつけたら中に入る。

何度も繰り返し遊べるのですが、ここ最近、一回ボールをぶつけられると、

自分からボールを取りに行かず、

ボールを投げられないから飽きてしまい、

遊びをやめてしまう子が増えたなぁと感じます。

 

自分から動かない。

一回で当てられないとスネてしまう。

先に諦める

 

この姿が増えたように感じます。

 

 

大人でも、

どうせ無理。

どうせムダ。

どうせダメ。

最初から期待なんてしない。

自分の分相応でいい。

多くを望むなんてバカだ。

 

そうやって先に諦めて、自分の本当の欲求や願望を打ち消していく。

 

傷つくくらいなら、やらない。

ガマンして無かったことにしてしまう。

今は上手くいかないけど、いつの日かきっと素晴らしい未来が待っているはずだから!!!

 

と、何か別の楽しいことに思いを巡らせて、

自分チカラではなく、誰かや何かのチカラでシアワセにしてもらう。

ガマンしていれば、シアワセは向こうからやってきてくれる。

 

今日はそんな、

多くを望まず諦めて、

いつの日か自分は報われる、

そう信じて人生を何とか前向きに乗り切ろうとする

「偽りのポジティブ。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは脱愛着の問題です。

そうやって、自分の望みや欲求を消していれば、みじめで虚しい自分を感じずに、自分を何とか保つのとができます。

 

それほどアナタ自身が脆くて危ういんです。

 

自分の中に安心感がないんです。

 

そして

諦めて、

求めずに、

全てを受け入れたフリをしておくことで、

今までの自分を肯定することができるんです。

 

そもそも自分は

愛されない

価値のない

ダメで

出来ない

居ても居なくてもいい存在。

 

アナタの中に、その根底があると誰が認めて、受け入れてくれたところで、

そんなことはない!!!

と自分の思う自分に戻っていくのが人間です。

 

アナタはアナタのことを、どう思えたらいいんでしょう?

 

 

そして、何も求めないことで、自分を諦めることで、

自分を生きないでいられるんです。

 

これにどんないいことがあるのか、ただ苦しいだけじゃないかと思うかもしれませんが、ここにもちゃんとメリットがあるんです。

 

自分から何も挑戦せず、動かず、何もせず、自分を感じられない代わりにラクができます。

 

何より、自分で何もしないんですから、そこに責任は発生しません。

 

いつでも、どこでも、

自分には関係ない。

自分には責任はない。

悪いのは相手。

と責任を押し付けられるんです。

 

 

誰かや何かに文句を言って、人のせいにできる。

こんなに耐えているのに、と被害者になれる。

 

だから、苦しくても、つらくても、

アナタは先に諦めておくことで、今に不満を持っておくことで、自分の人生を生きる怖さに直面しないでいられるんですね。

 

<これが続くとどうなるか?>

 

これは、脱愛着の人が陥りやすい

イヤを避ける人生

自分の責任から逃げる人生

の傾向だと思います。

 

これが続いてしまえば、アナタの人生はどうなるでしょうか?

 

ラクで何の責任もない代わりに、

アナタは自分を生きている感覚を持てず、

ずっと誰かに依存して生きていかないといけません。

 

依存する相手がいるうちは、まだそれほど深刻な状況にはならないかもしれません。

 

けれど、依存できる相手が居なくなった時、

アナタは生きていけますか?

 

求めず、諦め、逃げ続け、避け続けた人生のその先に、アナタの幸せな未来は待っているでしょうか?

 

<解決に向けて>

 

諦めて求めないこと。

それはアナタが生きるために身につけてきた術です。

 

 

本当の強さとは、

自分自身の

嬉しいも、

悲しいも、

楽しいも、

苦しいも、

喜びも、

絶望も、

アナタの全てのどんな感情も、アナタがそのまま受け止めて受け入れられることだと思います。

 

 

怒りたくない。。。〜怒りの矛先〜

福岡の心理セラピストリトリーブサイコセラピー前田ひとみです。

 

幼稚園でのお迎えの時間。

お母さんの姿が見えたら自分の荷物を全て渡し、遊び始める子ども。

まあ、これはよくある風景です。

けれど、自分の荷物を持たせておいて、持ち方や置き場所、今日の忘れ物などの文句を言う。

わたしは、すでに自分の荷物は自分で持ちなさい!と思っていますので、子どもに一声かけます。

 

けれどお母さんは、

ごめんね。

子どものすることにいちいち怒っても仕方ないんで。

とまるで子どもの言いなりのようになってしまっている。

 

 

怒りたくない。

怒っても仕方ないんだから、建設的に自分の感情をコントロールしたい。

怒っている自分を嫌悪してしまう。

 

そうやって怒りという感情をできるだけ避けたり、排除したい。

 

怒りを

抑えつける、

ガマンする、

感じないようにする、

その光景に、何とも違和感を感じました。

 

怒りの感情は、別に悪いものでも、ネガティブなものでもありません。

 

けれど、怒りや、怒りを感じている自分を悪いと思ったり、避けたりしてしまう。

 

今日は、怒りを避けたり嫌ってしまう心理、

「怒りたくない。。。〜怒りの矛先〜」

というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か?>

 

怒りたくない。

自分の怒りを感じたくない。

ここにあるのは、自己重要感の問題です。

 

自分を見たくない。

自分の本音を見たくない。

自分の怒りの感情を見たくない。

 

見てしまうと、自分が壊れてしまいそうで怖い。

触れてしまうと、今までの自分が崩れてしまう。

 

だから必死に、自分の怒りを避ける。

怒りが出てきそうな状況を避ける。

怒りの感情を全力で抑え込む。

 

自分の怒りを抑え付けていくと、アナタには常にガマンをして生きていかないといけません。

そして、自分がどんどん分からなくなっていきます。

 

その怒りを外に向けて発散したり、誰かに八つ当たりしたり、誤魔化せている時はまだマシなのかもしれません。

それを続けた結果、

人に拒否されたり、

人に嫌がられたり、

人に無視されたり、

それが繰り返されてくると、アナタはその怒りの感情そのものを段々と「悪いもの」として避けるようになります。

 

自分の中にある、怒りの感情の存在を認めなくなるんです。

 

そうして、怒りの存在を消そうとするんです。

すると、その怒りはどうなるでしょうか?

 

 

そうです。

外へと出せない怒りの感情は、アナタ自身へと向いていくんです。

 

 

アナタは、自分の怒りこ感情を否定して、抑えつけて、自分へと怒りを向けて、何事もなかったかのように日常を送ろうとするんです。

 

<このままだとどうなるか?>

 

短期間なら、まだ何とか耐えきれることもあるのかもしれません。

 

しかし、これが長期間ずっとずっと続いたら、アナタはどうなってしまうでしょうか?

 

生きているのがつらくなります。

生きる意味が分からなくなります。

生きることに希望が持てなくなります。

 

そうして、

もう、どうでもいいや。。。

人生なんてこんなもん。。。

どうせやってもムダ。。。

と自分を諦めてしまうんです。

 

怒りを感じてしまうと、

アナタの中にあるその

悔しさ

絶望感

に触れてしまいます。

 

触れてしまうと、抑え込んでいたものが溢れてしまいます。

 

その自分を受け止めるチカラが、自分にはないと思っているから触れられないんです。

 

感じたくない怒りがあればあるほど、自分をどんどん無くして、虚しさを募らせていきます。

 

怒りを飲み込んで、ニコニコと笑いながら、本当は怒っている自分を無かったことにしていれば、いつか報われる日が来るかもしれない。

そう信じて報われる日を待ち続けるんです。

それで本当に報われた日が、アナタにやって来たことはありましたか?

 

 

<解決に向けて>

生きていてくれてありがとう。

これを本当は、心から両親に言って欲しかった。

アナタが生まれてくれてよかった。

これを本当は、心から両親に思って欲しかった。

 

言ってもらえる自分になれるよう、

思ってもらえる自分になれるよう、

子どもは必死に努力をします。

 

けれどそれが叶わない。

やってもやっても叶わない。

どれだけ自分が頑張っても叶わない。

 

愛されない自分の絶望と悲しみを、そのネガティブな気持ちを、絶対に感じたくなくて避けていくんです。

 

避けることで、どんどん自分を見失っていってしまいます。

 

もらえない自分のみじめさや痛みを感じないでいいように、愛してくれない怒りも抑えつけていきます。

 

抑えつけることで、どんどん自分が分からなくなっていきます。

 

アナタは、

誰かに自分の

悔しさを、

絶望を、

分かってほしかったんです。

 

本当は、ずっとずっと泣きたかったんです。

泣かせてほしかったんです。

受け止めてほしかったんです。

 

 

アナタに今、必要なのは

自分を大事にするために、怒りを出すこと。

自分を守るために、イヤなものをイヤと言うこと。

 

怒りを出すことは、誰かを傷つけることではないから。

誰かと同じになってしまうことでもないから。

 

そして、悔しさと悲しさと怒りと絶望感でいっぱいで、それでも頑張って生きてきた自分に、

 

生きていてくれてありがとう。

よく生きてきてくれたね。

アナタがアナタへ、たくさんそう言ってあげることなんじゃないかな、とわたしは思います。

自分のことが分からない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

自分のことがよく分からない。

 

そんな話を最近よく聞きます。

 

意見を求められると、自分の中から何も出てこない。

 

自分がどう思っているのか、自分でよく分からない。

 

人の話を聞く時は、すんなり聞けるから何の問題もないんだけど、自分の意見を求められると固まってしまう。

 

自分のことなのに、自分が1番分からない。

 

 

今日はそんな心理、

「自分のことが分からない。。。」というテーマで書いていきます。

 

 

 

<本当の問題は何か>

何が好きなのか分からない。

何が嬉しいのか分からない。

自分のことが分からない。

アナタが自分のことが分からないのは、アナタが自分の気持ちが分からないからです。

 

自分の気持ちが分からない時、アナタは自分の感じている本音を誤魔化したり、無理に納得させたり、消したりしていますよね。

 

それがアナタを辛くしているし、苦しめています。

 

だから本音を感じることはとても大切です。

本当は

悲しかった。。。

イヤだった。。。

腹がたった。。。

そういう自分も見たくない本音、感じたくない本音がそこにはあります。

 

その本音を感じて受け入れることで、アナタは自分自身を感じることができます。

 

けれど、その本音を感じることがアナタにとって本来の自分を改めて思い知らされることにもなるから、本音を感じることが怖いんです。

 

アナタが自分の本当の感情を出して

泣いたり

拒否したり

怒ったり

してしまうと、

 

 

ものすごい勢いで否定される。

どれだけ表現しても無視される。

なんて酷いんだと責め立てられる。

そんな反応が返ってくる経験を何度も何度も経験したのではないでしょうか。

 

 

だからアナタは、自分の本音を消すということをしたんです。

 

それは怖かったというだけでなく、アナタは

愛されない自分

大事にされない自分

捨てられた自分

守られない自分

ひとりぼっちの自分

そんな自分を感じてしまったんです。。。

 

 

問題は、アナタがアナタを

愛されない存在

どうでもいい存在

見捨てられた存在

孤独な存在

必要ない存在

だと思って信じていることなんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

アナタが自分を感じて、自分のそのままに生きていくということは、絶望的な自分も同時に感じてしまうことになってしまいます。

 

自分の本音を出したり通したら、最初こそスッキリしたり自分に自信が出たように感じるかもしれません。

 

けれど自分を感じれば感じるほど、アナタの中にある

愛されない自分

孤独な自分

必要ない自分

も同じく積み重なっていきます。

 

 

アナタはそれを感じないように自分自身の感覚を麻痺させたり、紛らわすことができる何かや、埋めてくれる人やものに自分気持ちを向けることでしか自分を保てなくなってしまいます。

 

結局、自分の本音が分かっても、分からなくても、アナタが自分のことを要らない存在だと思っている限り、アナタの心はいつまでもつらく、苦しいままなんです。

 

 

<解決へ向けて>

アナタが自分に絶望しているのは、

感じた絶望を

誰にも言えず、

誰にも分かってもらえず、

誰にも表現させてもらってないからです。

 

人は、ただただポジティブに前を向くだけでは、

自分の本当の傷は癒えません。

本音だって言えません。

自分を感じることもできません。

 

これはポジティブではなく、自分をより強く押さえつけるだけになってしまいます。

 

 

意志の力だけでなく、アナタがアナタの本音に向かい、アナタがアナタを愛していくためには、

聞いてもらうこと。

認めてもらうこと。

側に居てもらうこと。

受け止めてもらうこと。

表現すること。

が必要なんです。

 

自分から求めていくことが必要なんです。

 

 

自分のことが分からない、

自分の本音が分からない、

それは、

アナタの人生がアナタのものではないままで、

アナタの心が傷ついたままで、

アナタが自分に絶望したままだからです。

 

まずは、

アナタの本音を、アナタに戻していきましょう。

 

 

 

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心が追いつかない。。。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

仕事終わりに携帯を開いて、パッと目に飛び込んできたニュースがありました。

それは、死産の報告のニュースでした。

わたしも経験者なので、あれから時間は経ってはいても心が動きました。

 

 

今日は、

「心が追いつかない。。。」

というテーマで、

衝撃の出来事がアナタを襲った時に起こりやすいこと、

衝撃の出来事からどうやって回復に向かうか、

をわたしの体験談も踏まえて書いていきます。

 

 

 

 

<衝撃の出来事に襲われたら>

つらい現実。

悲しい現実。

受け止めたくない現実。

 

生きていると確かに、

つらいことは起こります。

悲しいことも起こります。

心が痛みが続く時もあります。

 

けれどあまりにも衝撃が大き過ぎると、人は自分の感情を無くすことで何とか現実に対応しようとしたりします。

 

 

平気に振る舞ったり。

起こったことの意味を無理矢理に探して納得したり。

仕方なかったと言い聞かせて涙を止めたり。

 

 

そうして、

つらい時に前を向いてしまう。

悲しい時に意味を探して納得させてしまう。

苦しい時にひとりで閉じこもってしまう。

ことを繰り返してしまうようになっていきます。

 

これが繰り返されると、

つらい時につらいと言えない。

悲しい時に悲しみを感じられない。

苦しい時に助けを求められない。

そうして、守っていたはずのやり方で、自分をどんどん苦しめてしまうんです。

 

 

衝撃を受けた出来事。

これが起こったのはもちろんアナタのせいではありません。

なので、その出来事が起こって間もない時はその出来事そのものが受け止め切れません。

 

現実が見れない。

現実が信じられない。

現実が受け止められない。

この状態になるのは当たり前です。

 

わたし自身、まさに現実を避けました。

医師にお腹の中の息子が「もう亡くなっているね。」と告げられた日、あまりの出来事に自分の心が追いつききれませんでした。

診察台の上で、自分の感情を切り、意識を現実から飛ばし、自分の心を閉じたことを今でもはっきりと覚えています。

現実に対応できなかったんです。

悲しい出産後にも関わらず、ずっと笑顔でいるわたしに看護師さんが入れ替わりで「辛かったら、ここ(病院)には精神科もあるからね。無理しないでね。」と言ってくれました。

小さな棺を抱え、笑顔でお礼を言いながら火葬場へと向かう母親はあまりにも不自然です。

それほどまでに現実を受け入れきれなかったんです。

愛する子どもが、もう亡くなってしまったという現実を。

 

どれだけ辛く苦しい状況にいたとしても、その本人が現実を見れていない時には

傷を癒すことはできません。

周りが助けることはできません。

誰かが支えることはできません。

 

本人が癒しや助けや支えを望んでないこともあります。

自分を責め、怒り、呪い、嫌うことで何とか生きることが許されるように思ってしまい、自分から何も求めません。

望まない代わりに、自分を何も感じなくなっていくんです。

そうして、社会や世間からポツンと切り取られてしまったように、孤独感や、捨てられてしまった自分を隠しながら現実に対応しようとまた自分をどんどん無くしていってしまうんです。

 

時間は薬とも言いますが、現実を見ないまま時間だけが過ぎて行くと、傷は癒されるどころか、どんどん深くなりアナタを苦しめてくんです。

 

 

どうしてこんなことになったのか?

なぜ自分に起こったのか?

何か自分が悪いことをしたのだろうか?

どれだけ聞いても答えのない問いかけをずっと自分の中にし続けると、より自分の暗闇の中で迷子になってしまうんです。

 

 

わたし自身で言うと、

子どもを失ったことにより、今まで自分の中に抑えつけておいた

自分の価値の無さ

自分の存在のどうでもよさ

自分の惨めさ

自分への否定

自分が愛されない悲しみと怒り

が噴出してしまい、自分が保てなくなるから現実を避け続けたんです。

 

 

現実を見ると、自分が崩れてしまう。

その怖さがずっとあるから、自分を消すしか方法がなくなってしまうんです。

 

 

<回復に向けて>

本当に回復するには、アナタ自身が

現実を見ることから、

現実を信じることから、

現実を受け止めることから、

始めましょう。

 

それは、

自分を見ること

自分を信じること

自分を受け止めること

へと繋がります。

 

 

癒すこと、

助けを求めること、

支えてもらうこと、

もちろんそれも大切です。

 

ただ、心が追いつかない時ほどアナタに必要なのは、

現実を見ること

自分を見ること

なのだと思います。

 

 

それは時間がかかるように、遠回りのように思えても、アナタの心を回復に向かわせると、自分の経験からも実感しています。

 

 

現実や自分を受け止めきれない時、アナタは本当はそれほどまでに生きることに絶望しているんです。

 

その自分を、アナタがまず迎えに行ってあげませんか?

 

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親と無価値とわたし。

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

朝、起きるのがツライ。

朝、目が覚めたら虚しい。

朝、何で生きているんだろうと思ってしまう。

 

そんな、朝からの

虚無感や倦怠感や絶望感。。。

 

天気も相まって、ウツウツとした朝を迎えている人が多くいると聞きます。

 

天気。

仕事。

人間関係。

多少は左右されるものの、やはり変わらずアナタの中にある、

「自分は居ても居なくても同じ。」という心の中にある大きな穴や空っぽ感。

 

今日はそんなアナタの中にある無価値感、

「親と無価値とわたし。」

というテーマで書いていきます。

 

<本当の問題は何か>

アナタが

何かを始めたり、

何かに挑戦したり、

何か新しいことをしようとすると、

躊躇したり、

やる気がなくなったり、

何か邪魔が入ったりして、

途中でやめてしまう。

そんなことありませんか?

 

何かを始めようとすると、

アナタにはできない

アナタには無理

アナタがやれるワケない

自分の中にこんな声が聞こえたり、過去に自分が言われた言葉が頭に響いてきたりして止めてしまう。

 

これ、もちろんアナタの自己重要感が反応しています。

 

できない自分を責めたりもしながら、

 

そして、

わたしはやっぱりダメなんだ。。。

という確固たる信念を握りしめていく。

 

わたしにはどうせできない。

これは、

わたしは必要ない存在

わたしは愛されない存在

わたしは助けてもらえない存在

わたしは分かってもらえない存在

わたしは受け入れてもらえない存在

という

アナタの無価値感と繋がっています。

 

できない自分には、もともと価値がない。

だからアナタはできるようになろうとします。

けれどそうすると、怖くなってしまうんです。

 

そう。

アナタにできるはずがない。

この声が自分に響き渡るからです。

そして、その声に従ってアナタはダメな自分をダメだと感じながらも続けていきます。

無価値な自分をずっと握りしめながら。

 

<このままだとどうなるか>

このアナタの無価値感、生まれた時から持っているんでしょうか?

 

これ、NOなんです。

 

生まれた時から、無価値感を握っている子なんていません。

 

ではいつから握りしめるようになるのでしょうか?

 

無価値感は、実はアナタのものではありません。

 

アナタが感じている無価値感は、誰かからもらったものなんです。

 

なぜでしょうか?

 

アナタが

必要とされている

愛されている

助けてもらっている

分かってもらっている

受け入れてもらっている

その姿をとてつもなく見ることが辛くて怖くてたまらない人がいるんです。

 

アナタのその姿を見ると、

愛されなかった自分

助けてもらえなかった自分

受け入れてもらえなかった自分

を感じてしまうからです。

アナタの無価値感は、アナタの親からもらっています。

親自身が自分の中にある無価値感を感じることが怖いから、アナタを自分より価値のない子にしておくんです。

アナタがダメでいてくれれば、親は自分の無価値感を感じないで生きていけます。

アナタができることがあればあるほど、親は自分の無価値感を刺激されて、アナタを止めたくなります。

自分よりも下でいろ!

自分を超すな!

わたしの無価値感を刺激するな!

 

だから、アナタが持っている、感じている無価値感はアナタのものではないんです。

アナタの中にある無価値感は、アナタは無価値なんだというメッセージを受け取り続けたからこそ、アナタの中に根付いてしまったんです。

 

親が自分を守るために。

 

けれど、アナタがそれを受け取り続け、信じ続け、できない自分でいることで相手と繋がったり、居場所をもらったりしている限り、

無価値はアナタのものであり続けることになります。

 

<解決に向けて>

自分のものではない無価値感。

親から与えられた無価値感。

 

アナタの価値を、

アナタの人生を、

アナタの存在を、

親に委ねて、預けて、捧げていたら、アナタはいつまでも親の無価値感や劣等感を癒し続けることになります。

 

アナタの価値は、アナタのもの。

アナタの人生は、アナタが描き、創るもの。

アナタの存在は、アナタのためにあるもの。

 

無価値な自分はイヤ。

無価値な自分の安心。

このどちらも感じるからこそ、アナタはこれからどうしたいのかを自分に聞くことができるのだと思います。

 

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わたしの話を聞いて!

福岡の心理セラピスト(リトリーブサイコセラピー)の前田ひとみです。

 

子どもたちと話していると、

「せんせい、あのね!」と同時に何人もから話しかけられることがあります。

もちろんわたしは聖徳太子ではないので、順番に聞くんですが、それでも待てずに話し続ける子ももちろんいます。

 

そこには、

「自分の話を聞いてほしい!」という思いはもちろん、

「自分の話は聞いてもらえない!」という思いも存在します。

 

その思いを募らせたまま大人になるとどうでしょうか?

そうです。。。

聞いて欲しくて自分の話ばかりする。

聞いてもらえないことに耐え切れず、一方的なコミュニケーションをする。

聞いてもらえない怒りを人にぶつける。

そうしてその先に待っているのは孤独です。

 

アナタの周りにはこのように一方的なコミュニケーションを取る人はいないでしょうか?

もしくは、アナタ自身がそうなってはいないでしょうか?

 

今日はそんな自分の話だけを聞いてほしい一方的なコミュニケーションの心理、

「わたしの話を聞いて!」というテーマで書いていきます。

 

 

 

 

<本当の問題は何か>

ここにあるのは、愛着投影の問題です。

自分の話だけ聞いてもらいたいのは、自分の話を聞いてもらっていない感覚をずっと抱えているんです。

 

いつも

自分の思うように相手に聞いてほしい。

自分の思うように相手に受け止めてほしい。

自分の思うように相手に関わってほしい。

という思いを抱えています。

 

 

なので、

自分の話を少しでも聞いてくれそうな人に出会うと、

この人は何でも自分のことを聞いてくれるはず。

この人は何でも自分を分かってくれるはず。

この人はどんなことをしても自分と関わってくれるはず。

と期待して、今まで叶わなかった自分の欲求や本音を全てその人に聞いてもらい、分かってもらおうとします。

 

けれどこれは、自分は変わらずに全力で相手を変えようとしているだけです。

相手は当然変わらないので、その無理な期待には応えてはくれません。

そうすると裏切られたように感じて、また怒りと悲しみを抱えて次の自分を全て分かってくれそうな人を探し続けることになってしまいます。

 

そして、ずっとずっと「わたしの話を聞いて!」というコミュニケーションをループし続けて、自分が満たされないままなんです。

 

 

<このままだとどうなるか>

 

これは、誰との関わりの中でやってきたことなのでしょうか?

 

大抵は、この気持ちの根本は親との関係で起こっています。

 

親との間で、ずっと

親の話をしっかり聞いて、

親の思うように、

親を優先してきたから、

 

自分の気持ちが

置いてきぼりになり、

いつも虚しく空っぽで、

分かってもらえない悲しみと怒りでいっぱいなんです。

 

親との関係で自分を抑えて、親の全てを分かろうとし、全力で親を守ってきた人だからこそ、この怒りと悲しみをたくさん抱えているんです。

 

この

自分の話を聞いてもらえなかった悲しみ。

自分を大切にしてもらえなかった痛み。

自分を受け入れてもらえなかった虚しさ。

自分を認めてもらえなかった怒り。

 

ここに気がついて、目を向けて、受け止めること。

 

それほどの思いを感じていた自分を、なかったことにしないこと。

 

 

自分が受け止めるのでなく、誰かに何とかしてもらおうと思っているからいつまで経っても苦しいままなんです。

 

 

そして、自分の話を全て聞いてくれる誰かを探し続け、目の前の相手に期待しては「これじゃない!」と壊していく。

これでは、孤独でひとりぼっちの自分をより強くしていく人生になってしまいます。

 

 

<解決に向けて>

この傷があるのは、本人やアナタのせいではありません。

けれど、傷を受け入れず放置しているのは本人やアナタです。

それを誰かのせいにして、癒してくれる誰かを求め続けても、本人やアナタが自分の本当の気持ちを見ないと決めている限り、傷が癒やされる日は残念ながら来ないんです。

 

ただただ自分の話を聞いてほしいと思うほどに傷ついている自分の話を、誰より聞いてあげていないのが自分。。。

 

これだと、苦しさはずっと続いてしまいます。

 

自分が自分の本当の気持ちを聞く。

自分が自分の本当の気持ちを受け止める。

自分が自分の本当の気持ちを受け入れる。

これはただ癒やされるというよりは、痛いものです。

この痛みが大きいからこそ、今まで避けてきたはずです。

 

けれど、

この痛みと向き合うからこそ本人やアナタが変わることができるんです

 

自分が自分の痛みを見ると決める。

自分が自分の痛みを感じると決める。

自分が自分の痛みを解決すると決める。

 

ここからが本当のスタートなんだとわたしは思います。